あはき法に関わると思われる最高裁判所大法廷判決

本日は憲法記念日である。

なので、あはき法に関わると思われる最高裁判所大法廷判決を見ていこうと思う。

 大法廷と小法廷の違い

最高裁判所大法廷と小法廷との違いであるが、wikipediaによると、大法廷で扱う事件は以下に限定される。

  1. 当事者の主張に基づいて、法律、条例、命令、規則、又は処分の日本国憲法(以下「憲法」)との適合の是非を判断するとき(意見が前に大法廷でした、その法律、命令、規則、又は処分が憲法に適合するとの裁判と同じであるときを除く)
  2. 上記の場合を除いて、法律、条例、命令、規則、又は処分が憲法に適合しないと認めるとき
  3. 憲法その他の法令の解釈適用について、意見が前に最高裁判所のした裁判に反するとき
  4. 小法廷の裁判官の意見が数説に分かれ各々同数の場合
  5. 裁判官の分限裁判
  6. 人事官の弾劾裁判
  7. 国政選挙における一票の格差問題と憲法の適合の是非など小法廷が大法廷に回付することを相当と認めたとき

まあ、憲法判断を求められる、以前の判例を変更する、というのが大法廷に事件が回付される主要な理由である。去年の強制わいせつ罪の判例変更は3に該当する。

そして一度、憲法判断がされた事柄に関して、同じような理由で小法廷が最高裁への上告を棄却する場合、大法廷判決を引用して棄却する。*1

例えば司法書士法憲法22条(職業選択の自由)が争われた裁判では第三小法廷が、後で紹介する歯科医師法違反大法廷判決(昭和33(あ)411)を引用して被告人の上告を棄却している。*2

以下、漢数字は算用数字に変えて引用する。

 所論は、司法書士法19条1項、25条1項は、憲法22条1項に違反すると主張する。

しかし、司法書士法の右各規定は、登記制度が国民の権利義務等社会生活上の利益に重大な影響を及ぼすものであることなどにかんがみ、法律に別段の定めがある場合を除き、司法書士及び公共嘱託登記司法書士協会以外の者が、他人の嘱託を受けて、登記に関する手続について代理する業務及び登記申請書類を作成する業務を行うことを禁止し、これに違反した者を処罰することにしたものであって、右規制が公共の福祉に合致した合理的なもので憲法22条1項に違反するものでないことは、当裁判所の判例最高裁昭和33年(あ)第411号同34年7月8日大法廷判決・刑集13巻7号1132頁最高裁昭和43年(行ツ)第120号同年4月30日大法廷判決・民集29巻4号572頁)の趣旨に徴し明らかである。

所論は理由がない。

 なお、昭和43(行ツ)120は2番めの法令違憲判決として有名な薬局距離制限事件である。

 

昭和34年7月8日判決歯科医師法違反事件(昭和33(あ)411

この事件は歯科医師免許を持たない歯科技工士が、歯科技工士法第20条で禁止されている印象採得などの歯科医行為を業として行なった、として歯科医師法第17条違反に問われた事件である。

歯科技工士法第20条

歯科技工士は、その業務を行うに当つては、印象採得、咬合採得、試適、装着その他歯科医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずるおそれのある行為をしてはならない。

なお、歯科技工士法第20条に直接の罰則規定はなく、処罰は歯科医師法第17条違反として行われる。

鍼灸マッサージ師や柔道整復師は外科手術や投薬をそれぞれの法律で禁止されているが、直接の罰則規定はなく、医師法第17条違反で処罰されるのと同様である。

 

またこの昭和34年判決に関与した11名の裁判官が、あはき法第12条の昭和35年判決にも関わっている。うち、8名が昭和35年判決の多数意見である。歯科医師法違反事件は全員一致の判決であった。故に昭和35年の判決で示された「人の健康に害を及ぼすおそれのある行為」の基準もここから推測できよう。

 思うに、印象採得、咬合採得、試適、嵌入が歯科医業に属することは、歯科医師法17条、歯科技工法20条の規定に照し明らかであるが(なお、昭和26年(あ)4476号、同28年6月28日第二小法廷判決、集七巻六号一三八九頁参照)、右施術は総義歯の作り換えに伴う場合であつても、同じく歯科医業の範囲に属するものと解するを相当とする。

けだし、施術者は右の場合であつても、患者の口腔を診察した上、施術の適否を判断し、患部に即応する適正な処置を施すことを必要とするものであり、その施術の如何によつては、右法条にいわゆる患者の保健衛生上危害を生ずるのおそれがないわけではないからである

されば、歯科医師でない歯科技工士は歯科医師法17条、歯科技工法20条により右のような行為をしてはならないものであり、そしてこの制限は、事柄が右のような保健衛生上危害を生ずるのおそれなきを保し難いという理由に基いているのであるから、国民の保健衛生を保護するという公共の福祉のための当然の制限であり、これを以て職業の自由を保障する憲法二二条に違反するものと解するを得ないのは勿論、同法一三条の規定を誤つて解釈したものとも云い難い。

所論は、右に反する独自の見解に立脚するものであつて、採るを得ない。

つまり、法による印象採得等の制限は、印象採得などが、総義歯の作り変えに伴う場合であっても保健衛生上、危害を生ずるのおそれなきを保し難いという理由に基いているのであるから、国民の保健衛生を保護するという公共の福祉のための当然の制限である。

 

逆に言えば、総義歯の入れ替えに伴う印象採得などが、保健衛生上、危害を生ずるおそれが無いことを保てるなら、総義歯入れ替えに伴う印象採得などを非歯科医師が行っても良い、と解釈できる。

無論、総義歯入れ替えに伴う印象採得であっても、危害を生じる恐れが無いことを保てないから非歯科医師による印象採得などを禁じる歯科技工士法第20条などを合憲と判断しているのである。

 

昭和35年1月27日判決あはき法第12条違反(医業類似行為)(昭和29(あ)2990

我が業界を苦しめるばかりでなく、無免許施術が放置され、国民に健康被害をもたらし、あまつさえ死者さえ出すに至る原因となった昭和35年判決である。

 

ところで、医業類似行為を業とすることが公共の福祉に反するのは、かかる業務行為が人の健康に害を及ぼす虞があるからである。それ故前記法律が医業類似行為を業とすることを禁止処罰するのも人の健康に害を及ぼす虞のある業務行為に限局する趣旨と解しなければならないのであつて、このような禁止処罰は公共の福祉上必要であるから前記法律12条、14条は憲法22条に反するものではない。

とし、

しかるに、原審弁護人の本件HS式無熱高周波療法はいささかも人体に危害を与えず、また保健衛生上なんら悪影響がないのであるから、これが施行を業とするのは少しも公共の福祉に反せず従つて憲法22条によつて保障された職業選択の自由に属するとの控訴趣意に対し、原判決は被告人の業とした本件HS式無熱高周波療法が人の健康に害を及ぼす虞があるか否かの点についてはなんら判示するところがなく、ただ被告人が本件HS式無熱高周波療法を業として行つた事実だけで前記法律12条に違反したものと即断したことは、右法律の解釈を誤つた違法があるか理由不備の違法があり、右の違法は判決に影響を及ぼすものと認められるので、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものというべきである。

と判示し、仙台高裁へ審理を差し戻したのである。

仙台高裁は最高裁判決の解釈を誤ったか?

で、差し戻しを受けた仙台高裁ではHS式無熱高周波療法の危険性について複数の鑑定人による鑑定を比較し、危険性があるとして有罪にした。

togetter.com

 

さて、最高裁が問題にしたのは「人の健康に害を及ぼす虞があるか否かの点についてはなんら判示するところが」無い、という点である。

 

さて、これはHS式無熱高周波療法固有の危険性を判示すべきなのか?

それとも医業類似行為の一般的な危険性を判示すれば済む話であり、差し戻しを受けた仙台高裁は最高裁判決を誤って解釈し、複数の鑑定を比べる羽目になったのか。

 

最初の控訴審の判決には

而して右法律(筆者注:あはき法第12条)が之(筆者注:医業類似行為)を業とすることを禁止している趣旨は、かかる行為は時に人体に危害を生ぜしめる場合もあり、たとえ積極的にそのような危害を生ぜしめないまでも、人をして正当な医療を受ける機会を失わせ、ひいて疾病の治療恢復の時期を遅らせるが如き虞あり、之を自由に放任することは正常な医療の普及徹底並に公共の保健衛生の改善向上の為望ましくないので、国民の正当な医療を享受する機会を与え、わが国の保険衛生状態の改善向上をはかることを目的とするに在ると解される、

と判示しているので、医業類似行為が一般的に「人の健康以外を及ぼすおそれ」がある旨、判示していると言える。

よって、昭和35年判決は個々の医業類似行為に関して「人の健康に害を及ぼすおそれ」の立証を求めている、と解釈すべきであろう。

 

(2020/05/03追記)

おそれの有無について判断すれば良いと考えられる。

 

binbocchama.hatenablog.com

 

 

昭和34年歯科医師法違反事件と昭和35年医業類似行為判決の違い

歯科技工士法第20条は禁止行為を列挙している。

実際、歯科技工士が行いかねない歯科医行為は20条で列挙されている印象採得などの行為であろう。なのでこれらの行為の危険性を示すのは容易である。

それに比べて医業類似行為は行為の限定ができない。それゆえ、「保健衛生上危害を生ずるのおそれなきを保し」やすい行為まで禁止処罰の対象とするのは違憲と考えたようである。

昭和35年判決後、厚生省は下記の通知を出している。

○いわゆる無届医業類似行為業に関する最高裁判所の判決について
(昭和三五年三月三〇日)
(医発第二四七号の一各都道府県知事あて厚生省医務局長通知)


本年1月27日に別紙のとおり、いわゆる無届医業類似行為業に関する最高裁判所の判決があり、これに関し都道府県において医業類似行為業の取扱いに疑義が生じているやに聞き及んでいるが、この判決に対する当局の見解は、左記のとおりであるから通知する。

1 この判決は、医業類似行為業、すなわち、手技、温熱、電気、光線、刺戟等の療術行為業について判示したものであって、あん摩、はり、きゅう及び柔道整復の業に関しては判断していないものであるから、あん摩、はり、きゅう及び柔道整復を無免許で業として行なえば、その事実をもってあん摩師等法第一条及び第十四条第一号の規定により処罰の対象となるものであると解されること。
従って、無免許あん摩師等の取締りの方針は、従来どおりであること。
なお、無届の医業類似行為業者の行なう施術には、医師法違反にわたるおそれのあるものもあるので注意すること。

 

2 判決は、前項の医業類似行為業について、禁止処罰の対象となるのは、人の健康に害を及ぼす恐れのある業務に限局されると判示し、実際に禁止処罰を行なうには、単に業として人に施術を行なったという事実を認定するだけでなく、その施術が人の健康に害を及ぼす恐れがあることの認定が必要であるとしていること。
なお、当該医業類似行為の施術が医学的観点から少しでも人体に危害を及ぼすおそれがあれば、人の健康に害を及ぼす恐れがあるものとして禁止処罰の対象となるものと解されること。

 

3 判決は、第一項の医業類似行為業に関し、あん摩師等法第十九条第一項に規定する届出医業類似行為業者については、判示していないものであるから、これらの業者の当該業務に関する取扱いは、従来どおりであること。
別紙 略

歯科医師法違反事件の大法廷判決を考慮すれば「少しでも人体に危害を及ぼすおそれがあれば禁止処罰の対象となるものと解されること。」としたのは妥当であろう。

しかし平成3年の医業類似行為に関する通知では「少しでも」という表現が消えているのである。

あん摩マッサージ指圧、はり、きゅう及び柔道整復以外の医業類似行為については、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律第十二条の二により同法公布の際引き続き三か月以上医業類似行為を業としていた者で、届出をした者でなければこれを行ってはならないものであること。

したがって、これらの届出をしていない者については、昭和35年3月30日付け医発第247号の1厚生省医務局長通知で示したとおり、当該医業類似行為の施術が医学的観点から人体に危害を及ぼすおそれがあれば禁止処罰の対象となるものであること。

この問題に関しては機を改めて書きたい。

昭和36年2月15日判決あはき法広告規制違反事件(昭和29(あ)2861

あはき法第7条違反の裁判である。

第七条 あん摩業、マツサージ業、指圧業、はり業若しくはきゆう業又はこれらの施術所に関しては、何人も、いかなる方法によるを問わず、左に掲げる事項以外の事項について、広告をしてはならない。
一 施術者である旨並びに施術者の氏名及び住所
二 第一条に規定する業務の種類
三 施術所の名称、電話番号及び所在の場所を表示する事項
四 施術日又は施術時間
五 その他厚生労働大臣が指定する事項


○2 前項第一号乃至第三号に掲げる事項について広告をする場合にも、その内容は、施術者の技能、施術方法又は経歴に関する事項にわたつてはならない。

ちなみにこの広告規制が厳しすぎるのと、無免許業者の広告が野放しになっているので今年から、広告規制に関する検討会が開かれる。

www.mhlw.go.jp

裁判所サイトの表示で原審裁判所名が大津簡易裁判所となっている。

高等裁判所では無いのは大阪高裁が最高裁への移送を決定したからである。

なぜか?

事実関係に争いが無いからである。

そのため憲法判断のみ行えば良く、その場合には控訴審高等裁判所)を飛ばして、直接最高裁判所での審理が可能なのである。

この件は異なるのだが、刑事では跳躍上告、民事では飛越上告(飛躍上告)という。有名なのは砂川事件である。

砂川事件 - Wikipedia

 

 で、判決文を見てみよう。

しかし本法があん摩、はり、きゆう等の業務又は施術所に関し前記のような制限を設け、いわゆる適応症の広告をも許さないゆえんのものは、もしこれを無制限に許容するときは、患者を吸引しようとするためややもすれば虚偽誇大に流れ、一般大衆を惑わす虞があり、その結果適時適切な医療を受ける機会を失わせるような結果を招来することをおそれたためであつて、このような弊害を未然に防止するため一定事項以外の広告を禁止することは、国民の保健衛生上の見地から、公共の福祉を維持するためやむをえない措置として是認されなければならない。

されば同条は憲法二一条に違反せず、同条違反の論旨は理由がない。

なんと「もし」と仮定をつけた上で判示しているのである。

そしてこの広告規制違反事件は昭和35年判決に関わった裁判官の殆ど(この裁判の11名中10名)が関与している。

昭和35年判決で少数派だった3人のうち、田中裁判官は退官し、2人は多数派である。この判断は矛盾しない。

昭和35年判決で多数派、つまり医業類似行為に関しては個々に「人の健康以外を及ぼすおそれ」を認定すべき、とした裁判官のうち、この判決で多数派に回ったのは4人。垂水裁判官は補足意見で憲法31条の問題としているので昭和35年判決時の意見と矛盾しているかどうか、判断はつきにくいものの、3名は矛盾した判断をしている。

4名は昭和35年判決では多数派であり、この判決では少数意見(反対意見)である。筋は通っている。

 

この後、承認を受けていない医薬品、医療機器が効果・効能を宣伝したことが薬事法違反で処罰される際、この大法廷判決を引用して、憲法21条(表現の自由)に違反しない、と判示されるのである。

 

昭和40年7月14日薬事法違反事件(昭和38(あ)3179

判旨は「医薬品の販売業につき登録制を定めた旧薬事法第二九条第一項は、憲法第二二条第一項、第二五条に違反しない。」ということである。

 では判決文から。強調などは筆者による。

そして、同法がかような登録制度をとつているのは、販売される医薬品そのものがたとえ普通には人の健康に有益無害なものであるとしても、もしその販売業を自由に放任するならば、これにより、時として、それが非衛生的条件の下で保管されて変質変敗をきたすことなきを保しがたく、またその用法等の指導につき必要な知識経験を欠く者により販売されこれがため一般需要者をしてその使用を誤らせるなど、公衆に対する保健衛生上有害な結果を招来するおそれがあるからである。

このゆえに、同法は医薬品の製造業についてばかりでなく、その販売業についても画一的に登録制を設け、同法2条4項にいわゆる医薬品に該当する限りその販売について、一定の基準に相当する知識経験を有し、衛生的な設備と施設をそなえている者だけに登録を受けさせる建前をとり、もつて一般公衆に対する保健衛生上有害な結果の発生を未然に防止しようと配慮しているのであつて、右登録制は、ひつきよう公共の福祉を確保するための制度にほかならない。されば、旧薬事法29条1項は、憲法22条1項に違反するものではなく、これと同趣旨に出た原判決は相当であつて、論旨は理由がない。

「時として」と、広告規制違反事件判決と同様に仮定の例を出して、規制する法律が憲法22条に反しないと判示している。この大法廷判決は全員一致である。

なお、この判決の控訴審では*3

 所論は、右薬事法において「医薬品」の無登録販売を禁止しているのは、当該物質が人の健康に害を及ぼす虞れがある場合の販売に限る趣旨であつて、本件物質による療法は有益無害であるから、右薬事法の規定によつてこれが無登録販売を禁止することはできない筈であり、若し右薬事法の規定(第29条第1項)が右の如き場合をも罰する趣旨を包含しているとするならば、該規定は憲法に違反し無効である、原判決のこの点に関する判断には、右薬事法第29条の解釈を誤つた違法か理由不備があるというのである。

 

 しかしながら、右薬事法第29条第1項において、医薬品販売を登録制にしたのは、その医薬品の有効、無効又は有害、無害について、或いは販売業者の能力、資格又は適、不適等について、各私的判断に委することを禁じ、販売業を営むことを登録制として厚生大臣又は都道府県知事の監督を加えるべきものとするのが公共の福祉に合するものとしたが為であると認めるべきであつて、仮に被告人の主張する本件療法について被告人がそれを無害、有益であると信じているとしても、それを被告人個人の恣意的判断にまかすことを許さず、これを法の定める公的判断に服させるというのが法の趣旨であるというべきでかく解することが毫も憲法に違反しないことは検察官所論のとおりであり、医師法第17条の規定において、当該の者が医師としての実力を具えていると否とを問わず適法な医師の資格を有しない者に医業を禁止していること及び道路交通法第64条の規定において当該の者の運転技術の巧拙を問わず運転免許のない者に自動車運転を禁止していることが各公共の福祉に合致するものであると解され毫も怪しまれず、固より違憲と解すべき事由の存在しないことにおいて、類似の例証を観取し得るものといわなければならない。原判決が本件所為につき右法律第29条第1項違反としたことについては、憲法違反はもちろん、その他法律解釈の誤りもまた理由不備の違法も存在しない筋合であるというべきである。論旨は理由がない。

と判示している。医師法17条にも言及しているが、これと同様の判決はコンタクトレンズに関する医師法違反事件や、札幌高裁における歯科医師法違反事件でも見られる。*4

 

この大法廷判決を引用する形で、未承認医療機器の製造を処罰する際、「人の健康に害を及ぼすおそれ」を判断しなくて良い、という小法廷判決がある。*5

 なお、薬事法12条が製造業の許可を受けないで業として製造することを禁じている医療用具で同法2条4項、同法施行令一条別表第一の32に定めている「医療用吸引器」は、陰圧を発生持続させ、その吸引力により人(若しくは動物)の疾病の診断、治療若しくは予防に使用されること又は人(若しくは動物)の身体の構造若しくは機能に影響を及ぼすことを目的とする器具器械であれば足り、必ずしも電動力等の強力な動力装置を備えているもの又は専ら手術に用いられるものに限定されず、また、人の健康に害を及ぼす虞が具体的に認められるものであることを要しないもの(昭和38年(あ)第3179号同40年7月14日大法廷判決・刑集19巻5号554頁参照)と解すべきである。

医業類似行為や無免許でのあん摩・マッサージ・指圧が違法である旨、指摘する際にはこの大法廷判決を引用すれば良いのではないか。

 

昭和48年4月25日全農林警職法事件(昭和43(あ)2780

 

これは国家公務員法違反事件である。

事件そのものについてはwikipediaを参考にして欲しい。私はスト権については詳しくない。

全農林警職法事件 - Wikipedia

ただ、この判決はそれまで、国家公務員のスト禁止の規定を合憲限定解釈されていたのに対し、その限定を解除した、という意味で、我々が目指す、昭和35年判例の変更の参考となるべきものである。

特に下記の補足意見は示唆に富もう。

裁判官岸盛一、同天野武一の追加補足意見は、つぎのとおりである。
(略)

 

 

(二)つぎに、多数意見は、国公法110条一項一七号について、福岡高等裁判所判決(昭和四一年(う)第七二八号同四三年四月一八日判決)が示した限定解釈は犯罪構成要件の明確性を害するもので憲法31条違反の疑いがあるというが、われわれは、右の限定解釈は明らかに憲法31条に違反するばかりでなく、本来許さるべき限定解釈の限度を超えるものであるとすら考えるものである。すなわち、同判決は、国公法の右規定を限定的に解釈して、争議行為が政治目的のために行なわれるとか、暴力を伴うとか、または、国民生活に重大な障害をもたらす具体的危険が明白であるなど違法性の強い争議行為を違法性の強い行為によつてあおるなどした場合に限り刑罰の対象となるというのであつて、いわゆるD事件についての当裁判所大法廷判決の多数意見がさきに示した見解とほぼ同趣旨の見解を示しているのである。

ところで、憲法判断にさいして用いられる、いわゆる限定解釈は、憲法上の権利に対する法の規制が広汎にすぎて違憲の疑いがある場合に、もし、それが立法目的に反することなくして可能ならば、法の規定に限定を加えて解釈することによつて、当該法規の合憲性を認めるための手法として用いられるものである。

そして、その解釈により法文の一部に変更が加えられることとなつても、法の合理的解釈の範囲にとどまる限りは許されるのであるが、法文をすつかり書き改めてしまうような結果となることは、立法権を侵害するものであつて許さるべきではないのである

さらにまた、その解釈の結果、犯罪構成要件が暖味なものとなるときは、いかなる行為が犯罪とされ、それにいかなる刑罰が科せられるものであるかを予め国民に告知することによつて、国民の行為の準則を明らかにするとともに、国家権力の専断的な刑罰権の行使から国民の人権を擁護することを趣意とする、かのマグナカルタに由来する罪刑法定主義にもとるものであり、ただに憲法31条に違反するばかりでなく、国家権力を法の支配下におくとともに国民の遵法心に期待して法の支配する社会を実現しようとする民主国家の理念にも反することとなるのである

このことは、大陸法的な犯罪構成要件の理論をもたない英米においても、つとに普通法上の厳格解釈の原理によつて、裁判所は、個々の事件について、法文の不明確を理由に法令の適用を拒否する手段を用いて、実質上法令の無効を宣言するのとひとしい実をあげてきたといわれているのであるが、とくに米国では、一世紀も前から法文の不明確を理由としてこれを無効とする理論が芽ばえ、一九〇〇年代にはいつてからは、国民の行為の準則に関する法令は、予め国民に公正に告知されることが必要で、そのためには 法文は明確に規定されなければならないとして、憲法修正五条、六条、一四条等の適正条項違反を理由に不明確な法文の無効を宣言する、いわゆる明確性の理論が判例法として確立され今日に及んでいるのである。

この法文の明確性は、憲法上の権利の行使に対する規制や刑罰法規のような国民の基本的権利・自由に関する法規については、とくに強く要請されなければならないことは当然である。

ところで、前記福岡高等裁判所判決は、あおり行為の対象となる争議行為の違法性の強弱を判定する基準の一つとして、「国民生活に対する重大障害」ということをあげている。同様にD事件判決の多数意見は、「社会の通念に反して不当に長期に及ぶなど国民生活に重大な支障」といつている。
しかし、国民生活に重大な障害とか支障とかいう基準はすこぶる漠然とした抽象的なものであつて、はたしてどの程度の障害、支障が重大とされるのか、これを判定する者の主観的な、時としては恣意的な判断に委ねられるものであつて、そのような弾力性に富む伸縮自在な基準は、刑罰法規の構成要件の輪郭内容を極めて暖味ならしめるものといわざるをえない
また、D事件判決の多数意見のように「社会の通念に反し不当に長期に及ぶなど」という例示が示されているとしても、どの程度の時間的継続が不当とされるのか、これまた甚だ不明確な要件といわざるをえないばかりでなく、そのうえ「社会の通念に照らし」という一般条項を構成要件のなかにとりこんでいることは、却てその不明確性を増すばかりである。

したがつて、かような基準を示された国民は、自己の行為が限界線を越えるものでないとして許されるかどうかを予測することができず、法律専門家である弁護士、検察官、裁判官ですら客観的な判定基準を発見することに当惑し(いわゆるA事件の差戻し後の東京高裁昭和四一年(う)第二六〇五号同四二年九月六日判決・刑集二〇巻五二六頁参照)、罰則適用の限界を画することができないばかりでなく、民事上、行政上の制裁との限界もまた不明確であつて、法の安定性・確実性が著しくそこなわれることとなる。
現に全国の事実審裁判所の判決においても、「国民生活に重大な障害」に関する判断が区々にわかれて統一性を欠いているのが今日の実情なのである。

さらにまた、右のような限定解釈は、罰則の適用される場合を制限したかのようにみえるのであるが、それに示されているような抽象的基準では、前記判決が志向したところとはおよそ逆の方向にも作用することがないとも限らない。
けだし、法文の不明確は法の恣意的解釈への道をひらく危険があるからである

もつとも、右の基準の明確な確立は、今後の判例の集積にまてばよいとの反論もあろう。
最近の、カナダの連邦公務員関係法、アメリカのペンシルバニヤ州の公務員労使関係法およびハワイ州公法は、重要職務に従事する公務員についてのみ争議行為を禁止しているのであるが、それらの立法に対する、職務の重要性・非重要性を区別することは困難であるとの批判に対して、裁判所の判例の集積による解決が最も妥当であるとの反論もみられる。
しかし、右の諸立法においては、別に第三者機関による重要職務の指定判定の制度があつて、それによつて重要公務の範囲が一応は形式的に明確にされる建前なのであるから、その指定判定に争いがあるとき裁判所の判断をまつということのようである。
すなわち、それは、重要職務に従事する公務員の範囲を主体の面から限定するものであつて、行為の態様による限定ではないのである。
「国民生活に重大な障害」の有無というような行為の態様の基準の明確な確立は、むしろ、判例の集積による方法にはなじまないというべきであろう

およそ国民の行為の準則は、裁判時においてではなく、行為の時点においてすでに明確にされていなければならない。また、終局判決をまたなければ明確にならないような基準は、基準なきにひとしく、国民を長く不安定な状態におくこととなる。国民は各自それぞれの判断にしたがつて行動するほかなく、かくては法秩序の混乱はとうてい免れないであろう。

憲法問題を含む法令の解釈にさいしては、いたずらに既成の法概念・法技術にとらわれて、とざされた視野のなかでの形式的な憲法理解におちいつてはならないことはいうまでもないことであり、また、絶えず進展する社会の流動性と複雑化とに対処しうるためには、犯罪構成要件がつねに客観的・記述的な概念にとどまることはできず、価値的要素を含んだ規範的なものへと深化されることも必要である。
さらに、正義衡平、信義誠実、公序良俗、社会通念等々の、もともとは私法の領域で発達した一般条項の概念が、法解釈の補充的原理として具体的事件に妥当する法の発見に寄与するところがあることも否定できない。しかしながら、あまりにも抽象的・概括的な構成要件の設定は、法の行為規範、裁判規範としての機能を失なわしめるものであり、いわんや、安易簡便な一般条項を犯罪構成要件のなかにとりこむことは極力これを避けなければならない。第二次大戦前のドイツ法学界において、一般条項がいともたやすく遊戯のように労働法を征服したとか、一般条項は個々の犯罪構成要件をのりこえてしまう傾向をもつとかと、強く指摘した警告的な主張がなされたことが思いあわされるのである。

法の規定が、その文面からは一義的にしか解釈することができず、しかも憲法上許される必要最小限度を超えた規制がなされていると判断せざるをえないならば、たとえ立法目的が合憲であるとしても、その法は違憲とされなければならない。
しかるに、国公法一一〇条一項一七号についての前記のような限定解釈は、それを避けようとして詳密な理論を展開したのであるが、惜しむらくは、その理論の実際的適用について前述のような重大な疑義を包蔵するうえに、その限定解釈の結果もたらされた同条の構成要件の不明確性は、憲法31条に違反するものであり、また、立法目的に反して法の規定をほとんど空洞化するにいたらしめたことは、法文をすつかり書き改めたも同然で、限定解釈の限度を逸脱するものといわざるをえないのである。

 

ともあれ、これらの大法廷判決を読み、整体などの医業類似行為や無免許マッサージに関し、「人の健康に害を及ぼすおそれ」が立証されない限りは逮捕されない、と鷹をくくれるものか。

 

無免許マッサージや医業類似行為の違法性を問う方法は刑事裁判だけではなく、施術契約や施術講習契約が民法90条に違反する、などと民事で争う方法もあるのである。

*1:wikipediaの大法廷の項より 

一度大法廷判決で合憲とした事件は、小法廷で判断できることになり、「大法廷判決の趣旨に照らして明らか」であれば、小法廷で判断を下すことができることになっている。したがって、小法廷で憲法判断をする場合は、必ず過去の大法廷判決が引用されている。

*2:

http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=51231

*3:昭和38年11月11日東京高等裁判所判決昭和37(う)1960 最高裁判所刑事判例集19巻5号580頁

*4:札幌高裁昭和55年(う)195 刑事裁判月報13巻1・2号63頁

*5:

http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=50205

ポジティブスターヨガがキャバクラヨガで無ければ林芳正大臣に、文部科学大臣としての資格が無い。

 

時系列

週刊文春が、林大臣が公務の間に、公用車で「キャバクラヨガ」と呼ばれているポジティブスターヨガに行ったことを報じる。

bunshun.jp

リテラが後追いで報じる。

 

ポジティブスターヨガの庄司代表が、文春で報道されたような性的サービスやキャバクラでは無い旨、ブログで反論する。

ameblo.jp

 

記事の内容はあたかもいかがわしい内容を想像させるもので事実とはまったく違うため断固否定をさせて頂きます。

 

P.S ネットやツイッターなどでキャバクラヨガと書かれていますが、うちはキャバクラでもなく、いかがわしい風俗店では一切ありませんのでお間違えのないようにお願い致します。 

 週刊文春の当該号の発売と、代表の反論を受け、リテラが記事を削除し、謝罪記事を書く。

lite-ra.com

www.asahi.com

林氏は報道陣に「友人の紹介で5、6年前に通い始め、月に数回通っていた。一般的なヨガのレッスンとマッサージを受けていた」と説明。週刊文春の報道では店のサービスについて「キャバクラヨガ」との表現もあるが、林氏は「そういう店ではなく通常のヨガスタジオだと認識している」と述べた

 政治家が合法な性風俗店やキャバクラに通うなら問題無い。

文春が問題にしたのは公用車でキャバクラのようなサービスを受けに行ったことである。

しかし、その旨が当事者から否定されているものだから、文春に対する批判が多い。

そしてリテラも謝罪に追い込まれた。

公務の間の私用で公用車を用いるのは問題ない旨、文部科学省が回答している。

また合法な性風俗店やキャバクラに政治家が通っていても問題はあるまい。既婚者がそのような店に通うのは奥さんから見て問題はあると思うが、それは家庭内の問題である。*1

少なくとも国会の質疑時間を使って責め立てる必要のある問題では無い。

もちろん、そういう政治家は人格的に信用できない、と判断し、対立候補に票を入れるのは有権者の自由であるし、国会外で論ずるのは否定しない。

少なくとも裁判所は名誉毀損の免責事由と判断するだろう。

また普段の言論が性的に潔癖であることを求めている政治家が性風俗店に通ったり、不倫したりすれば言動不一致ということで批判されても仕方あるまい。

イクメン宣言して不倫した議員が辞職に追い込まれたのは当然のことである。

林大臣がその点に関し、今までどのような発言をしてきたのか、把握してないのでこの記事では問題にしない。

 

もちろん、通っていた店で違法なサービス、例えば18歳未満による性的サービスを受けていたなら大臣はおろか、議員辞職すべき事件となる。

 

で、性的には関係なく、この店舗で提供されたサービスが違法か合法かが問題になる。

業としてマッサージ・指圧を行うにはあん摩マッサージ指圧師の免許が必要である。

業としてマッサージや指圧を行うにはあん摩マッサージ指圧師という免許が必要です。

あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律(あはき法)第一条

 医師以外の者で、あん摩、マツサージ若しくは指圧、はり又はきゆうを業としようとする者は、それぞれ、あん摩マツサージ指圧師免許、はり師免許又はきゆう師免許(以下免許という。)を受けなければならない。

しかし無免許マッサージ業者が堂々と営業しているのが現実である。

なぜそうなったかは別の記事をご参照いただきたい。

binbocchama.hatenablog.com

 

そして無免許マッサージや整体、カイロプラクティックによる健康被害が発生していることが消費者庁から報告されている。

法的な資格制度がない医業類似行為の手技による施術は慎重に

http://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_safety/release/pdf/consumer_safety_release_170526_0002.pdf

 消費者庁には、「整体」、「カイロプラクティック」、「リラクゼーションマッサージ」などの法的な資格制度がない医業類似行為の手技による施術で発生した事故の情報が、1,483 件寄せられています(平成 21 年9月1日から平成 29 年3月末までの登録分)。

そのうち、治療期間が1か月以上となる神経・脊髄の損傷等の事故が 240 件と全体の約 16%を占めています。

 

法律そのものには免許が必要なあん摩、マッサージ、指圧の定義は書かれていないのだが厚生省の通達では

法第一条に規定するあん摩とは、人体についての病的状態の除去又は疲労の回復という生理的効果の実現を目的として行なわれ、かつ、その効果を生ずることが可能な、もむ、おす、たたく、摩擦するなどの行為の総称である。*2

とあり、裁判例では

あん摩師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法一条にいう「あん摩」とは、慰安または医療補助の目的をもって、身体を摩さつし、押し、もみ、またはたたく等の行為を言う。*3

というのがある。

 

また一般にはあん摩・マッサージ・指圧は医業類似行為にカテゴライズされ、医業類似行為は「疾病の治療又は保健の目的でする行為」とされる。*4

よって「健康のため」、つまり保健の目的で行うマッサージ・指圧も免許が必要な行為である。

 

文部科学大臣あん摩マッサージ指圧師の養成校の認可権限を持つ。

あん摩マッサージ指圧師の免許を取得するには3年以上の専門教育を認可された養成校で受け、国家試験に合格する必要がある。

そして養成校が認可されるためには人員・設備などの基準をクリアしなければならない。

第二条 免許は、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)第九十条第一項の規定により大学に入学することのできる者(この項の規定により文部科学大臣の認定した学校が大学である場合において、当該大学が同条第二項の規定により当該大学に入学させた者を含む。)で、三年以上、文部科学省令・厚生労働省令で定める基準に適合するものとして、文部科学大臣の認定した学校又は次の各号に掲げる者の認定した当該各号に定める養成施設において解剖学、生理学、病理学、衛生学その他あん摩マツサージ指圧師、はり師又はきゆう師となるのに必要な知識及び技能を修得したものであつて、厚生労働大臣の行うあん摩マツサージ指圧師国家試験、はり師国家試験又はきゆう師国家試験(以下「試験」という。)に合格した者に対して、厚生労働大臣が、これを与える。

一 厚生労働大臣 あん摩マツサージ指圧師の養成施設、あん摩マツサージ指圧師及びはり師の養成施設、あん摩マツサージ指圧師及びきゆう師の養成施設又はあん摩マツサージ指圧師、はり師及びきゆう師の養成施設

二 都道府県知事 はり師の養成施設、きゆう師の養成施設又ははり師及びきゆう師の養成施設

厚生労働大臣免許なので、晴眼者のあん摩マッサージ指圧師文部科学大臣のことを軽視しがちだが、厚生労働大臣は「次の各号に掲げる者」と脇役であり、認可の主役は文部科学大臣なのである。

 

ちなみに古来、あん摩は盲人(視覚障害者)の職業とされてきた。

そのため盲学校(今は視覚支援学校と改称されているのが多い。)にはあん摩マッサージ指圧師(およびはり師、きゅう師)の免許が取れる課程がある。

盲人のあん摩マッサージ指圧師の保護規定

あはき法第19条には盲人のあん摩マッサージ指圧師の生活困窮を防ぐために、あん摩マッサージ指圧師の養成校の認可を拒否できる文部科学大臣又は厚生労働大臣の権限が書かれている。

第十九条 当分の間、文部科学大臣又は厚生労働大臣は、あん摩マツサージ指圧師の総数のうちに視覚障害者以外の者が占める割合、あん摩マツサージ指圧師に係る学校又は養成施設において教育し、又は養成している生徒の総数のうちに視覚障害者以外の者が占める割合その他の事情を勘案して、視覚障害者であるあん摩マツサージ指圧師の生計の維持が著しく困難とならないようにするため必要があると認めるときは、あん摩マツサージ指圧師に係る学校又は養成施設で視覚障害者以外の者を教育し、又は養成するものについての第二条第一項の認定又はその生徒の定員の増加についての同条第三項の承認をしないことができる

○2 文部科学大臣又は厚生労働大臣は、前項の規定により認定又は承認をしない処分をしようとするときは、あらかじめ、医道審議会の意見を聴かなければならない。

なお、晴眼者向けのあん摩マッサージ指圧師養成校の認可を拒否された学校法人がこの規定が、職業選択の自由を定める憲法22条に反するとして国を訴えて現在係争中である。

盲学校(視覚特別支援学校)は文部科学大臣の所管事項

 盲学校にあん摩マッサージ指圧師の養成課程があることは前述のとおりだが、特別支援学校は学校教育法に定められており、学校教育法は文部科学大臣が所管する法律である。

学校教育法より

第七十二条 特別支援学校は、視覚障害聴覚障害者、知的障害者肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者を含む。以下同じ。)に対して、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施すとともに、障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることを目的とする。

第七十三条 特別支援学校においては、文部科学大臣の定めるところにより、前条に規定する者に対する教育のうち当該学校が行うものを明らかにするものとする。

まさに盲学校は盲人の自立を図ることを目的にしているわけである。

 

無免許マッサージを受ける行為は違法サービスを受けるに留まらず、盲人の自立を妨げる行為と言わざるをえない。

このような行為は前述の学校教育法に定められた、障害者の自立を図る目的に反する行為である。

 

よって、林大臣が性的あるいはキャバクラのようなサービスではなく、「健康のため」無免許マッサージを受けていたとすれば文部科学大臣を勤める資格はない。

即刻辞任すべきである。

 

仮にポジティブスターヨガでの施術がキャバクラのようなサービスであれば、盲人の自立を妨げるわけでは無いので問題無い。

ポジティブスターヨガのサイトの記述

4/25でのスクリーンショットである。

f:id:binbocchama:20180426214550j:plain

ポジティブスターヨガのマッサージ指圧

「指圧マッサージ」と書かれ、「肩こり、腰痛、筋肉痛、ヨガ後のリラックスに」と書かれており、痛みの緩和などの治療目的であることがわかる。

「ヨガ後のリラックスに」とあるが、蒸し風呂の後の無免許あん摩を有罪とした裁判例がある。*5

所論は要するに、本件は業としてあん摩を行ったものではない。被告人は本来湿熱療法(蒸風呂)を営むものであるが、この療法は長時間蒸風呂に漬かるため身体に疲労を覚えるので、これを癒し且つ同療法を効果的ならしめるため受療者を寝台上に安臥させて手指をもって背骨の両側や手足の急所を押圧したものであり、いわば湿熱療法に付随する後手当を施したに過ぎず理髪師が理髪後に行うの頭、肩の按撫打圧と同様のものであるから、これをもってあん摩を業として行ったということはできないと主張するのである。

よって案ずるに原審証人Bの供述記載及び被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書の記載によれば、なるほど本件指圧又はマッサージは概ね蒸風呂から上がってきた者に対して施されたものではあるが、しかし右マッサージ等は内容効果からみて一般あん摩師の行うものと少しもかわるところはなく、その料金も蒸風呂代が1回150円であるに対し、入浴後のマッサージ代は300円ほどであり、単なる蒸風呂の付随的なものではなく、蒸風呂とは独立した別個の存在であったことが認められ、到底理髪師が理髪後に行う頭、肩の按撫打圧と同一視し得べきものではない。

原判決が本件をあん摩を業として行ったと認定したのはもとより正当であり、諭旨は理由がない

 そして

f:id:binbocchama:20180426214607j:plain

養成スクール

セラピスト養成スクールとして「指圧マッサージコース」がある。

なお、現在はあん摩マッサージ指圧師の方々が問い合わせたため、記述を訂正しているようである。

この店舗の会員のあん摩マッサージ指圧師に尋ねたところ、

そして終了後まさにご指摘の内容で相談を受けたので「あマ指師資格が無いのでメニュー表の表記を整体やリラクゼーションに変更した方が無難」とのアドバイスをしました。

とご回答いただいた。

www.ps-yoga.com

あ、セラピスト養成スクールの「指圧マッサージコース」はそのままだ。

SERVICE04は「リラクゼーション整体」に書き直したようだが。

 

庄司ゆうこ代表は前掲のブログで

このような過去の経歴や軽率な記事の掲載により、間違った想像をかきたてる週刊文春の記事はセクハラであり、職業差別と感じます。
訂正と、謝罪を求めたいと思います。

と書いている。

J-CASTの取材に対しても

週刊文春に対しては、「次回発売の誌面で『セクシーヨガ』『キャバクラヨガ』『セクシー個室』などの表現について訂正してほしい」。文藝春秋社に何らかの対応をするかは「これから弁護士などと協議するところ」と答えるにとどめた。

www.j-cast.com

と回答している。 

しかし、無免許マッサージのことに関してはなんらサイトやブログで告知・謝罪をしていない。

ダブルスタンダードも甚だしい。

消費者問題としての資格商法

まずこのようなスクールで「指圧マッサージ」のセミナーを受けても、業として(健康目的の)マッサージを行うことはできない。

お客様に施術できるレベルのマッサージスキルが身につきます

と書いてあるが法的にできない。

よって景品表示法における優良誤認表示と言わざるをえない。

また消費者契約法における不実告知でもある。

またこのようなセミナーを受けても業としてマッサージができないこと、ちゃんと業として行うための免許制度があることを説明していないのであれば消費者契約法における不利益事実の不告知である。

 

消費者契約法に関しては下記サイトがわかりやすいと思う。

消費者契約法による契約解除|岩見沢市消費者センター

 

そして違法施術を教える講習契約は公序良俗に反し、無効である旨、東京都消費者被害救済委員会で示されている。

https://www.shouhiseikatu.metro.tokyo.jp/sodan/kyusai/documents/h_gaiyo42.pdf

本件契約は、民法90条の公序良俗に違反し無効であるとしてあっせんし、スクールが全額を返還したことで、平成24年1月に解決した。

医師免許を有しない者にアートメイクの技術を伝授し、アートメイクという人の身体を傷つける反社会性の強い行為を業とするアートメイクアーティストを養成するための本件受講契約は、国民の健康で衛生的な生活を著しく損なう行為を拡大させるばかりか、医師法違反の行為を助長する目的を有するものといわざるをえず、民法90条の公序良俗に違反し、無効であると解するべきである。

アートメイク医師法違反だが、(健康を目的とした)マッサージはあはき法第1条違反である。よってポジティブスターヨガは受講者に対し、セミナー料を全額返還すべき義務がある。

 

もちろん、性的あるいはキャバクラのようなサービスのための「マッサージ」ならあん摩マッサージ指圧師の免許は不要である。

しかしそのことは庄司代表が自ら否定されているのである。

風営法における「接待」

キャバクラというのは風営法において、接待飲食店営業と定義される業態である。「接待」のある飲食店である。

キャバクラ - Wikipedia

警察庁風営法の解釈に関する通知を出し、「接待」の定義を示している。下記PDFは107頁あるので携帯回線で読む際には注意されたい。

風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律等の解釈運用基準について

https://www.npa.go.jp/laws/notification/seian/hoan/hoan20180130.pdf

このPDFの7ページ目から

1 接待の定義
接待とは、「歓楽的雰囲気を醸し出す方法により客をもてなすこと」をいう。
この意味は、営業者、従業者等との会話やサービス等慰安や歓楽を期待して来店する客に対して、その気持ちに応えるため営業者側の積極的な行為として相手を特定して3の各号に掲げるような興趣を添える会話やサービス等を行うことをいう。言い換えれば、特定の客又は客のグループに対して単なる飲食行為に通常伴う役務の提供を超える程度の会話やサービス行為等を行うことである。

(中略)
また、接待は、通常は異性によることが多いが、それに限られるものではない。

 

3 接待の判断基準

(1) 談笑・お酌等

特定少数の客の近くにはべり、継続して、談笑の相手となったり、酒等の飲食物を提供したりする行為は接待に当たる。これに対して、お酌をしたり水割りを作るが速やかにその場を立ち去る行為、客の後方で待機し、又はカウンター内で単に客の注文に応じて酒類等を提供するだけの行為及びこれらに付随して社交儀礼上の挨拶を交わしたり、若干の世間話をしたりする程度の行為は、接待に当たらない。

(中略)

(4) ダンス

特定の客の相手となって、その身体に接触しながら、当該客にダンスをさせる行為は接待に当たる。また、客の身体に接触しない場合であっても、特定少数の客の近くに位置し、継続して、その客と一緒に踊る行為は、接待に当たる。
ただし、ダンスを教授する十分な能力を有する者が、ダンスの技能及び知識を修得させることを目的として客にダンスを教授する行為は、接待には当たらない。


(5) 遊戯等

特定少数の客と共に、遊戯、ゲーム、競技等を行う行為は、接待に当たる。
これに対して、客一人で又は客同士で、遊戯、ゲーム、競技等を行わせる行為は、直ちに接待に当たるとはいえない。

 

(6) その他

客と身体を密着させたり、手を握る等客の身体に接触する行為は、接待に当たる。ただし、社交儀礼上の握手、酔客の介抱のために必要な限度での接触等は、接待に当たらない。
また、客の口許まで飲食物を差出し、客に飲食させる行為も接待に当たる。
これに対して、単に飲食物を運搬し、又は食器を片付ける行為、客の荷物、コート等を預かる行為等は、接待に当たらない。 

 と書いてある。

というわけでキャバクラのような「接待」を目的としたマッサージであれば免許は不要である。そして「接待」が規制されているのは飲食店などであり、「接待」を目的とした施術営業を規制する条項は風営法には無い。これが性的なマッサージであればいわゆるファッションヘルスとしての届け出が必要である。

ポジティブスターヨガのサイトには東京都公安委員会の届出番号は見受けられない。よって性的なマッサージを行っていた場合にはやはり違法サービスになってしまう。

 

よって、PSYの施術は「接待」を目的にしたもの、つまりキャバクラ(のようなもの)で無ければ林大臣は違法サービスを提供する店を利用したことになってしまう。

 

文春の記事によれば庄司氏は林大臣が受けたサービスについて「ヨガを一時間した後に指圧を1時間。」と回答している。健康のための指圧であれば無免許指圧であり、そのようなサービスを利用する者に文部科学大臣としての資格が無いことは前述のとおりである。

盲人のマッサージ師が無免許マッサージにより収入が減り、息子が法科大学院を諦めた例

 晴眼者のマッサージ師である私が盲人のことを書くのは、盲人をダシにしてると批判をされそうだ。だが、私の両親は盲人のマッサージ師だったのだ。過去形なのはすでに亡くなっているからだが。

盲人のマッサージ師の人権などについて書くことを無免許マッサージ業者からどうのこうの言われる筋合いはない。

というわけで見出しに書いてある、法科大学院を諦めた息子は私のことである。

大学に入る時点ではまだ経済的な余裕があったのだが、無免許マッサージ業者が多数営業するようになって、経済的に厳しくなってしまった。

これが正当な競争の結果なら仕方ないのだが、違法業者を放置した結果として、盲人マッサージ師の経済的危機である。

親の貧困による教育格差が問題となっているわけだが、林大臣の行為は視覚障害を起因とした格差を助長する行為である。

 

まあ、法科大学院の新司法試験における惨状や若手弁護士の経済状況を見聞きしてると、法科大学院に行かなくて良かったのかもしれないが。

 

憲法25条のことを考えず、22条ばっかりを考えた最高裁判例によって支障をきたしている業界に入ったことで、私法ばっかり扱っている弁護士よりも人権や憲法について考えることは多くなったかもしれない。

 

2015/05/08追記

庄司ゆうこ氏が5/5に、「指圧マッサージ」から「リラクゼーション整体」に名称を変えて合法性を主張したので次の記事を書いた。

binbocchama.hatenablog.com

*1:ハニトラの可能性は否定しないが。

*2:○あん摩師、はり師、きゅう師又は柔道整復師の学校又は養成所等に在学している者の実習等の取り扱いについて
昭和三八年一月九日医発第八号の二各都道府県知事あて厚生省医務局長通知

*3:清水簡易裁判所昭和34年10月7日判決 昭和34年(ろ)50号 下級裁判所刑事裁判例集1巻10号2144頁  

*4:仙台高裁・昭和29年6月29日 昭和28年(う)375号

*5:東京高裁昭和34年(う)2187号、昭和35年4月13日
判例タイムズ104号45頁
下級裁判所刑事裁判例集第2巻3・4号361頁

あはき法における文部科学大臣の記述

とりあえず、あはき法における文部科学省令、文部科学大臣の記述のみを書く。

e-Gov法令検索

第二条 免許は、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)第九十条第一項の規定により大学に入学することのできる者(この項の規定により文部科学大臣の認定した学校が大学である場合において、当該大学が同条第二項の規定により当該大学に入学させた者を含む。)で、三年以上、文部科学省厚生労働省令で定める基準に適合するものとして、文部科学大臣の認定した学校又は次の各号に掲げる者の認定した当該各号に定める養成施設において解剖学、生理学、病理学、衛生学その他あん摩マツサージ指圧師、はり師又はきゆう師となるのに必要な知識及び技能を修得したものであつて、厚生労働大臣の行うあん摩マツサージ指圧師国家試験、はり師国家試験又はきゆう師国家試験(以下「試験」という。)に合格した者に対して、厚生労働大臣が、これを与える。

一 厚生労働大臣 あん摩マツサージ指圧師の養成施設、あん摩マツサージ指圧師及びはり師の養成施設、あん摩マツサージ指圧師及びきゆう師の養成施設又はあん摩マツサージ指圧師、はり師及びきゆう師の養成施設

二 都道府県知事 はり師の養成施設、きゆう師の養成施設又ははり師及びきゆう師の養成施設

 

○2 前項の認定を申請するには、申請書に、教育課程、生徒の定員その他文部科学省厚生労働省令で定める事項を記載した書類を添付して、文部科学省令・厚生労働省令の定めるところにより、これを文部科学大臣厚生労働大臣又は養成施設の所在地の都道府県知事に提出しなければならない。

 

○3 第一項の学校又は養成施設の設置者は、前項に規定する事項のうち教育課程、生徒の定員その他文部科学省厚生労働省令で定める事項を変更しようとするときは、文部科学省厚生労働省令の定めるところにより、あらかじめ、文部科学大臣厚生労働大臣又は同項の都道府県知事の承認を受けなければならない。

 

○4 文部科学大臣又は厚生労働大臣は、第一項に規定する基準を定めようとするときは、あらかじめ、医道審議会の意見を聴かなければならない。

以下各項省略 

 

第十八条の二 文部科学省厚生労働省令で定める程度の著しい視覚障害のある者(以下「視覚障害者」という。)にあつては、当分の間、第二条第一項の規定にかかわらず、学校教育法第五十七条の規定により高等学校に入学することのできる者であつて、文部科学省厚生労働省令で定める基準に適合するものとして、文部科学大臣の認定した学校又は厚生労働大臣の認定したあん摩マツサージ指圧師の養成施設若しくはあん摩マツサージ指圧師、はり師及びきゆう師の養成施設において、あん摩マツサージ指圧師については三年以上、あん摩マツサージ指圧師、はり師及びきゆう師については五年以上、これらの者となるのに必要な知識及び技能を修得したものは、試験を受けることができる。


○2 前項の規定の適用については、旧国民学校令(昭和十六年勅令第百四十八号)による国民学校の高等科を卒業した者、旧中等学校令による中等学校の二年の課程を終わつた者又は文部科学省令・厚生労働省令の定めるところによりこれらの者と同等以上の学力があると認められる者は、学校教育法第五十七条の規定により高等学校に入学することのできる者とみなす。


○3 文部科学大臣又は厚生労働大臣は、第一項に規定する基準を定めようとするときは、あらかじめ、医道審議会の意見を聴かなければならない。 

 

第十九条 当分の間、文部科学大臣又は厚生労働大臣は、あん摩マツサージ指圧師の総数のうちに視覚障害者以外の者が占める割合、あん摩マツサージ指圧師に係る学校又は養成施設において教育し、又は養成している生徒の総数のうちに視覚障害者以外の者が占める割合その他の事情を勘案して、視覚障害者であるあん摩マツサージ指圧師の生計の維持が著しく困難とならないようにするため必要があると認めるときは、あん摩マツサージ指圧師に係る学校又は養成施設で視覚障害者以外の者を教育し、又は養成するものについての第二条第一項の認定又はその生徒の定員の増加についての同条第三項の承認をしないことができる。

○2 文部科学大臣又は厚生労働大臣は、前項の規定により認定又は承認をしない処分をしようとするときは、あらかじめ、医道審議会の意見を聴かなければならない。

 

立法権の尊重と、それを無視した昭和35年判決

gendai.ismedia.jp

私としては記事内容に賛成はしないが、私や業界にとって合憲限定解釈に関する重要な知見があると思われるのでメモとして残しておく。

 

一票の格差」訴訟で、最高裁が「先例」として引き継いでいるのが、1964年2月の大法廷判決への「補足意見」だ。この判決と「補足意見」は、最初の「一票の格差訴訟」で出されたものである。

「4.09倍」の格差のもと実施された参議院選挙に対し、最高裁は「合憲」の判断を下しているが、その判決の主旨を補う「補足意見」を最高裁判事だった斎藤朔郎が書いている。

斎藤は、その中で「政治的紛争から完全に離れること、政治的決定に際しての政治的勢力の衝突の渦中に身を投じないことが必要である」「司法審査の範囲を拡大するよりも、『司法権の効果的な実行に内在する本来的な限界』を守っていくことの方が、むしろ肝要」と述べている。

 

というわけで裁判所サイトの判決文へのリンク。

http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=53126

 多数意見が、各選挙区に如何なる割合で議員数を配分するかは、立法府である国会の権限に属する立法政策の問題であるとしている点は、私にも異論がないところである。しかし、多数意見が、現行の公職選挙法別表二が選挙人の人口数に比例して改訂されないための不均衡が所論のような程度ではなお立法政策の当否の問題に止るとして、例外の場合すなわち、選挙区の議員数について選挙人の選挙権の享有に極端な不平等を生じさせるような場合には違憲問題が生じ、したがつて右別表の無効を認める場合のあることを示唆している点に、私は危惧を感じる。

 

 いわゆる砂川事件の大法廷判決(昭和三四年(あ)第七一〇号同年一二月一六日、 刑集一三巻一三号三二二五頁)が「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて」といつているのも同様な考え方であると思うが、ある事項を原則的には裁判所の司法審査の対象から除外しながら、例外的にはその事項につき司法審査のおよぶ場合のあることを留保していることは、司法権の権威を守り、裁判官の職務に忠実ならんとする熱意の現われともいうべきものであつて、それは延いて国民の基本的人権の擁護に奉仕するものである。この心構えが、裁判官にとつて必要なことはいうまでもないが、実際問題と して、そうすることによつて果して所期の如くに司法権の権威を高め、国民の信頼をえることができるであろうか。

私は、この点を再考してみる必要があると思うのである。アメリカ合衆国最高裁判所が一九六二年三月二六日にしたBaker V .Carr事件の判決についているフランクフルター判事の長文の少数意見を通読して、その感を一層深くした。(以下の記述のうちで、「 」をもつて表示してあ る部分は、同判事の意見またはその引用の先例中の文句を意訳したものである。)  「財力も武器も持たない裁判所の権威は、最終的には、国民の道義的な信頼によつて支えられているのである。そのような国民感情を培養するには、裁判所は、事実上も外観上も、政治的紛争から完全に離れること、政治的決定に際しての政治的勢力の衝突の渦中に身を投じないことが必要である。」

 

司法審査の門戸を広げるだけでは、司法権の権威を必ずしも高めることはできない。司法審査の範囲を拡大するよりも、「司法権の効果的な実行に内在する本来的な限界」を守つていくことの方が、むしろ肝要であらねばならない(拙稿・法と国家権力、法哲学年報一九五五 年一六頁参照)。

 選挙区別の議員定数を決定する要素は、多数意見も説示しているように、選挙人の人口比率以外の幾多の要素をも包含している。そして、それらの諸要素を考慮に入れて判断するには、「司法的判断のための満足すべき基準」がないということに、 留意しなければならない。フランクフルター判事は、「かかる問題の決定権を裁判所に与えることは、裁判官に神の力を与えようとすることである。」とまで極言している。「わが憲法の下では、すべての政治的な過誤や立法権の望ましからぬ行使に対し、常に司法的救済が与えられるものとは限らないということを、卒直に認識しなければならない。」「民主社会においては、国民の代表者の良識を呼びさます国民の良識に、救済を求めるより外はないのである。」ということで満足すべき場合もあるのでないだろうか。

 

 多数意見は、選挙区の議員数について選挙人の選挙権の享有に極端な不平等を生じさせるような場合、といつているが、具体的に如何なる事態を指すかは明瞭でない。おそらくは、将来においても、この場合に該当するとして選挙が無効とされる ようなことは、容易に起るまいと思う。私は、世論の力、立法機関や行政機関の良識を、もつと信頼してよいのでないかと考える。明確な基準のない場合に、判決で違憲とすべき場合のあり得ることを約束してみても、それに当るものとして提起される訴訟は、基準に達しないものとしてすべて排斥されてしまうのではなかろうか。 それでは、「将来を約束する言葉の響きを与えながら、期待をふみにじる」結果になり、かえつて国民の司法に対する信頼を裏切ることにならないかを、私は危惧する。

 

 かりに、公職選挙法別表二が憲法の平等条項に違反することによつて、選挙が無効と認められた場合には、如何なる事態が発生するかを考えてみるに、「その究極の結果は、国民から現在の立法機関を奪つてしまい、しかもそれに代る新しい立法機関を選出する方法もなく、ついに国家の機構の破滅を招来」しかねない。参議院の半数改選議員の選挙が全部無効となるような事態が発生すれば、国会の機能は全く停止されてしまうであろう(国会法一〇条参照)。  そもそも、公職選挙法二〇四条の訴訟は、本来は、選挙の管理執行上の過誤を是正することを目的とする制度であると考える。さればこそ、右訴訟の結果による再選挙は、これを行うべき事由が生じた日から四〇日以内に、行わなければならないとされている(公職選挙法一〇九条四号、一一〇条二項、三四条一項参照)。

本件別表二が違憲無効と認められた場合に、果して四〇日という短期間内に、別表の改正が行われることを、期待できるであろうか。それができなければ、無効の選挙をくり返えしていくより仕方がない。右二〇四条の規定を合理的な範囲内で拡張解釈することは差し支えないとしても、国会と裁判所との間において、裁量判断にくいちがいの生じるおそれの多分に存する問題についてまで、司法的解決を与えんとすることは、拾収すべからざる混乱を招来するものと思う。かように考えてくると、 右二〇四条の訴訟で、本件事案におけるような請求を求めることの合法性に、私は強い疑問をいだく。  

 

選挙制度に関する裁判なので、単純に立法裁量権の尊重、と単純に解釈してはいけないのだろうが、そんな感じである。

 

なお、昭和35年判決に関わった裁判官のうち、反対意見だった石坂修一裁判官、多数意見だった奥野健一裁判官の2人がこの裁判にも関わっている。

 

合憲限定解釈から処罰範囲を広げた例としては全農林警職法事件がある。

http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=50906

この判決の追加補足意見は読んでおこう。

(二)つぎに、多数意見は、国公法110条一項一七号について、福岡高等裁判所判決(昭和四一年(う)第七二八号同四三年四月一八日判決)が示した限定解釈は犯罪構成要件の明確性を害するもので憲法三一条違反の疑いがあるというが、われわれは、右の限定解釈は明らかに憲法三一条に違反するばかりでなく、本来許さるべき限定解釈の限度を超えるものであるとすら考えるものである。すなわち、同判決は、国公法の右規定を限定的に解釈して、争議行為が政治目的のために行なわれるとか、暴力を伴うとか、または、国民生活に重大な障害をもたらす具体的危険が明白であるなど違法性の強い争議行為を違法性の強い行為によつてあおるなどした場合に限り刑罰の対象となるというのであつて、いわゆるD事件についての当裁判所大法廷判決の多数意見がさきに示した見解とほぼ同趣旨の見解を示しているのである。

ところで、憲法判断にさいして用いられる、いわゆる限定解釈は、憲法上の権利に対する法の規制が広汎にすぎて違憲の疑いがある場合に、もし、それが立法目的に反することなくして可能ならば、法の規定に限定を加えて解釈することによつて、当該法規の合憲性を認めるための手法として用いられるものである。

そして、その解釈により法文の一部に変更が加えられることとなつても、法の合理的解釈の範囲にとどまる限りは許されるのであるが、法文をすつかり書き改めてしまうような結果となることは、立法権を侵害するものであつて許さるべきではないのである。

さらにまた、その解釈の結果、犯罪構成要件が暖味なものとなるときは、いかなる行為が犯罪とされ、それにいかなる刑罰が科せられるものであるかを予め国民に告知することによつて、国民の行為の準則を明らかにするとともに、国家権力の専断的な刑罰権の行使から国民の人権を擁護することを趣意とする、かのマグナカルタに由来する罪刑法定主義にもとるものであり、ただに憲法三一条に違反するばかりでなく、国家権力を法の支配下におくとともに国民の遵法心に期待して法の支配する社会を実現しようとする民主国家の理念にも反することとなるのである。

このことは、大陸法的な犯罪構成要件の理論をもたない英米においても、つとに普通法上の厳格解釈の原理によつて、裁判所は、個々の事件について、法文の不明確を理由に法令の適用を拒否する手段を用いて、実質上法令の無効を宣言するのとひとしい実をあげてきたといわれているのであるが、とくに米国では、一世紀も前から法文の不明確を理由としてこれを無効とする理論が芽ばえ、一九〇〇年代にはいつてからは、国民の行為の準則に関する法令は、予め国民に公正に告知されることが必要で、そのためには 法文は明確に規定されなければならないとして、憲法修正五条、六条、一四条等の適正条項違反を理由に不明確な法文の無効を宣言する、いわゆる明確性の理論が判例法として確立され今日に及んでいるのである。

この法文の明確性は、憲法上の権利の行使に対する規制や刑罰法規のような国民の基本的権利・自由に関する法規については、とくに強く要請されなければならないことは当然である。

ところで、前記福岡高等裁判所判決は、あおり行為の対象となる争議行為の違法性の強弱を判定する基準の一つとして、「国民生活に対する重大障害」ということをあげている。同様にD事件判決の多数意見は、「社会の通念に反して不当に長期に及ぶなど国民生活に重大な支障」といつている。
しかし、国民生活に重大な障害とか支障とかいう基準はすこぶる漠然とした抽象的なものであつて、はたしてどの程度の障害、支障が重大とされるのか、これを判定する者の主観的な、時としては恣意的な判断に委ねられるものであつて、そのような弾力性に富む伸縮自在な基準は、刑罰法規の構成要件の輪郭内容を極めて暖味ならしめるものといわざるをえない。
また、D事件判決の多数意見のように「社会の通念に反し不当に長期に及ぶなど」という例示が示されているとしても、どの程度の時間的継続が不当とされるのか、これまた甚だ不明確な要件といわざるをえないばかりでなく、そのうえ「社会の通念に照らし」という一般条項を構成要件のなかにとりこんでいることは、却てその不明確性を増すばかりである。

したがつて、かような基準を示された国民は、自己の行為が限界線を越えるものでないとして許されるかどうかを予測することができず、法律専門家である弁護士、検察官、裁判官ですら客観的な判定基準を発見することに当惑し(いわゆるA事件の差戻し後の東京高裁昭和四一年(う)第二六〇五号同四二年九月六日判決・刑集二〇巻五二六頁参照)、罰則適用の限界を画することができないばかりでなく、民事上、行政上の制裁との限界もまた不明確であつて、法の安定性・確実性が著しくそこなわれることとなる。
現に全国の事実審裁判所の判決においても、「国民生活に重大な障害」に関する判断が区々にわかれて統一性を欠いているのが今日の実情なのである。

さらにまた、右のような限定解釈は、罰則の適用される場合を制限したかのようにみえるのであるが、それに示されているような抽象的基準では、前記判決が志向したところとはおよそ逆の方向にも作用することがないとも限らない。
けだし、法文の不明確は法の恣意的解釈への道をひらく危険があるからである。

もつとも、右の基準の明確な確立は、今後の判例の集積にまてばよいとの反論もあろう。
最近の、カナダの連邦公務員関係法、アメリカのペンシルバニヤ州の公務員労使関係法およびハワイ州公法は、重要職務に従事する公務員についてのみ争議行為を禁止しているのであるが、それらの立法に対する、職務の重要性・非重要性を区別することは困難であるとの批判に対して、裁判所の判例の集積による解決が最も妥当であるとの反論もみられる。
しかし、右の諸立法においては、別に第三者機関による重要職務の指定判定の制度があつて、それによつて重要公務の範囲が一応は形式的に明確にされる建前なのであるから、その指定判定に争いがあるとき裁判所の判断をまつということのようである。
すなわち、それは、重要職務に従事する公務員の範囲を主体の面から限定するものであつて、行為の態様による限定ではないのである。
「国民生活に重大な障害」の有無というような行為の態様の基準の明確な確立は、むしろ、判例の集積による方法にはなじまないというべきであろう。

およそ国民の行為の準則は、裁判時においてではなく、行為の時点においてすでに明確にされていなければならない。また、終局判決をまたなければ明確にならないような基準は、基準なきにひとしく、国民を長く不安定な状態におくこととなる。国民は各自それぞれの判断にしたがつて行動するほかなく、かくては法秩序の混乱はとうてい免れないであろう。

憲法問題を含む法令の解釈にさいしては、いたずらに既成の法概念・法技術にとらわれて、とざされた視野のなかでの形式的な憲法理解におちいつてはならないことはいうまでもないことであり、また、絶えず進展する社会の流動性と複雑化とに対処しうるためには、犯罪構成要件がつねに客観的・記述的な概念にとどまることはできず、価値的要素を含んだ規範的なものへと深化されることも必要である。
さらに、正義衡平、信義誠実、公序良俗、社会通念等々の、もともとは私法の領域で発達した一般条項の概念が、法解釈の補充的原理として具体的事件に妥当する法の発見に寄与するところがあることも否定できない。しかしながら、あまりにも抽象的・概括的な構成要件の設定は、法の行為規範、裁判規範としての機能を失なわしめるものであり、いわんや、安易簡便な一般条項を犯罪構成要件のなかにとりこむことは極力これを避けなければならない。第二次大戦前のドイツ法学界において、一般条項がいともたやすく遊戯のように労働法を征服したとか、一般条項は個々の犯罪構成要件をのりこえてしまう傾向をもつとかと、強く指摘した警告的な主張がなされたことが思いあわされるのである。

法の規定が、その文面からは一義的にしか解釈することができず、しかも憲法上許される必要最小限度を超えた規制がなされていると判断せざるをえないならば、たとえ立法目的が合憲であるとしても、その法は違憲とされなければならない。
しかるに、国公法一一〇条一項一七号についての前記のような限定解釈は、それを避けようとして詳密な理論を展開したのであるが、惜しむらくは、その理論の実際的適用について前述のような重大な疑義を包蔵するうえに、その限定解釈の結果もたらされた同条の構成要件の不明確性は、憲法三一条に違反するものであり、また、立法目的に反して法の規定をほとんど空洞化するにいたらしめたことは、法文をすつかり書き改めたも同然で、限定解釈の限度を逸脱するものといわざるをえないのである。

wikipediaの医業類似行為のページでは

医業類似行為 - Wikipedia

この判例に対しては、人の健康に害を及ぼすおそれがあるか否かは一概に判断できない場合が多く、法は抽象的に有害である可能性があるものを一律に禁止しているのであり、健康に害を及ぼすおそれがあることを認定する必要はなく、そのように理解しても憲法22条に違反しないという批判も強い。

また、この判決が出た当時は憲法訴訟論が本格的に論じられておらず、違憲審査基準につき不十分な議論しかされていなかった当時のものであるとして、先例としての価値がどれだけあるか疑問であるとの指摘もされている(無登録で医薬品を販売していたとして旧薬事法違反で起訴された事案につき、最大判昭和40年7月14日刑集19巻5号554頁を参照)。

と後年の判例を見る限りでは、昭和35年判決に先例の価値がどれだけあるか、疑問ではある。

 

HS式無熱高周波療法の危険性に関する判断。

単なる覚書。

簡易裁判所昭和28年4月16日判決より

 

 弁護人はH・S式無熱高周波療法を業とすることは憲法第22条に保障されている自由な職業であり且この療法は全然無害で何等公共の福祉に反しない、従って被告人の行為は処罰の対象とならない旨主張する、

これ等の規定の趣旨とするところは医業類似行為が人体に及ぼす影響並びに効果に照して一定の学識経験を有する者に対してのみかかる行為を業とすることを認めそれ以外の者については之を禁ずることを以て公衆の保健衛生の向上に合致する所以であるとなした事は明らかであって、斯る制限を設けることは公共の福祉を維持する為必要であると謂わなければならない。

 従って前記の諸規定は憲法第22条の職業選択の自由に対する制限であるが何等同条に違反するものとは謂い得ない、而してH・S式無熱高周波療法が医業類似行為に該当することは前認定の通りであるのでかかる療法を業とすることの制限を以って憲法第22条に違反するとなす主張は採用し得ない。

「公衆の保健衛生の向上に合致する所以である」と法規制の目的を述べている。

 

控訴審である仙台高裁昭和28年(う)375号では危険性関し、

而して右法律が之を業とすることを禁止している趣旨は、かかる行為は時に人体に危害を生ぜしめる場合もあり、たとえ積極的にそのような危害を生ぜしめないまでも、人をして正当な医療を受ける機会を失わせ、ひいて疾病の治療恢復の時期を遅らせるが如き虞あり、之を自由に放任することは正常な医療の普及徹底並に公共の保健衛生の改善向上の為望ましくないので、国民の正当な医療を享受する機会を与え、わが国の保険衛生状態の改善向上をはかることを目的とするに在ると解される、

と、医業類似行為が

  • 危害を生じることもあること
  • 疾病の回復を遅らせる恐れがあること

とし、「正常な医療の普及徹底並に公共の保健衛生の改善向上の為望ましくない」と述べている。

 

しかしHS式無熱高周波療法の危険性に関しては何も判示していない。

 

そのため最高裁

原審弁護人の本件HS式無熱高周波療法はいささかも人体に危害を与えず、また保健衛生上なんら悪影響がないのであるから、これが施行を業とするのは少しも公共の福祉に反せず従つて憲法二二条によつて保障された職業選択の自由に属するとの控訴趣意に対し、原判決は被告人の業とした本件HS式無熱高周波療法が人の健康に害を及ぼす虞があるか否かの点についてはなんら判示するところがなく、ただ被告人が本件HS式無熱高周波療法を業として行つた事実だけで前記法律一二条に違反したものと即断したことは、右法律の解釈を誤つた違法があるか理由不備の違法があり、右の違法は判決に影響を及ぼすものと認められるので、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものというべきである。

と、HS式無熱高周波療法の、人の健康に害を及ぼす虞の有無を判示しろ、と言っているわけである。

 

で、差し戻された仙台高裁では有害性の有無について、大学などに依頼して鑑定し、有害だから有罪とし、被告人は再び上告したものの、今度は上告棄却で有罪確定である。

 

差し戻し控訴審に関しては以下のまとめに書いた。

togetter.com

 

ちなみに(歯科)医師法違反や保助看法違反の成立には抽象的な危険で良いとされる。しかしそういう判例が積み重ねられたのは昭和35年判決の後の話である。

 

そのため差し戻し控訴審は具体的な危険性を審理しているようで、やりすぎ、あるいは昭和35年判決の解釈を間違えているのではないか?という気もする。

 

なお、富士見産婦人科病院事件の保助看法違反の控訴審で、被告人は昭和35年判決を引用し、無資格者に行わせた行為は「人の健康に害を及ぼすおそれのない行為」と主張したが、裁判所は医師が無資格者に行わせることができる行為として

医師が無資格者を助手として使える診療の範囲は、いわば医師の手足としてその監督監視の下に、医師の目が現実に届く限度の場所で、患者に危害の及ぶことがなく、かつ、判断作用を加える余地に乏しい機械的な作業を行わせる程度にとどめられるべきものと解される。

と判示し、被告人が行わせた行為は「人の健康に害を及ぼすおそれのある行為である」として被告人の控訴を棄却し、有罪判決を維持している。

というわけで、昭和35年判決を肯定しつつ、無資格者が行って良い行為は太字に示された、

  • 患者に危害の及ぶことが無い。
  • 判断作用を加える余地に乏しい機械的な作業

の両条件を満たした行為と言える。

 

で、この事件で被告人から超音波検査(ME検査)の指示(?)を受けて行っていた無資格者は医師法違反で起訴されていたりする。

その判決文より

 しかるところ、本件ME検査は、ME装置の操作技術に習熟した者が、解剖学、生理学、病理学等の医学的知識及び経験に基づき、的確にこれを行うのでなければ、診断の正確性ないしは治療の適正を損ない患者の健康状態に悪影響を及ぼすべきことが明らかであるから、本件被告人の前示のような行為、すなわち、ME装置を操作して患者の具体的病状、病名等を独自に診断、判定し、その結果及び検査治療方法等を自ら患者に告知し、かつ、精密検査ないしは手術のための入院を慫慂するという行為を反覆継続する意思で行つたことは、医師が行うのでなければ保健衛生上人体に危害を及ぼすおそれのある行為を業として行つたものとして、医師法一七条にいう医業に該当するものと解される。

というわけで、

  • 身体の状況について判断するための情報を集める行為(問診や検査など)
  • 身体の状況について判断すること
  • 身体の状況について判断したことに基づいて行う行為(病状告知や施術)

というのは当然判断作用を伴う行為であり、無資格者が行うのは許されない。

 

ちなみにこの判断作用を伴う行為、というのは押す力の加減といったことも含む。富士見産婦人科病院事件の保助看法違反事件では縫合糸の結紮に関しても

細密な縫合状況についての視認結果と指先の感触に基づき、自らの判断を加えながら、縫合糸を結ぶことによって創口を閉鎖することであり、それ自体として患者の身体や健康状態に重大な危害を及ぼすおそれがあるのはもとより、微妙な判断作用を伴う機械的とは到底いえないものであって、医師による監督監視の適否を論ずるまでもなく、無資格者が医師の助手として行うことができる行為の範囲をはるかに超えているといわなければならない。

と判示してる。

 

さて、業というのは営利目的でなくても成立するが、施術を受ける側の場合、判断作用が不要な行為にお金を払う気になるだろうか?

 

生業にする場合、金銭に見合った働きをしようと、判断が必要な行為をしがちになるのでは?

あるいはエッチなサービスの提供とか。

binbocchama.hatenablog.com

 

というわけで、当初は判断が不要な行為のみを行っていたとしても、生業としていればそのうち要判断行為を行うようになる、と考えても良いのではと思ったり。

無免許医業者の損害賠償を裁判所は認めない。

入れ墨店の競業禁止条項に関する裁判である。

業として入れ墨を彫るのは医師法第17条に反するのはタトゥー裁判で示されたとおり。

binbocchama.hatenablog.com

---(2020/10/11)---

医業は医療関連性のある行為に限定される旨、最高裁が決定を出しました。

よって、タトゥー施術業は現在、医師法に違反する業務ではありません。

当記事執筆時の見解としてお読みください。

 

binbocchama.hatenablog.com

---(追記終わり)---

 

整体やカイロプラクティックなどの無免許医業又は医業類似行為も違法行為であるため、参考になるかと思う。

 

名古屋地方裁判所 平成28年(ワ)4337

 事案の概要

 原告:入れ墨店を経営する法人および代表者

被告:原告と業務委託契約を結んで、原告の店で入れ墨を彫っていた。

 

原告と被告の間に交わされた業務委託契約には競業禁止条項があった。

被告は、原告及び原告のグループ店舗を退店又は退職及び失職した場合、原告及び原告のグループ店舗から半径1.5キロメートル以内における、独立、営業活動及び営業行為を一切禁止とする。

被告は独立して入れ墨店を開設し、開設した地域は競業禁止条項に触れる地域であった。

 

そのため競業禁止条項に違反し、原告に損害が生じたとして被告に損害賠償を求めた。 

 

他に従業員の引き抜きなどもあるが、無免許医業とは関係無いので本記事では割愛する。

判決文に書かれている事案の概要は以下の通り。

本件は、原告が経営する入れ墨店において彫り師として稼働していた被告が、原告被告間で締結された業務委託契約上の競業避止条項に違反し、かつ、原告の従業員を違法に引き抜いて、自ら入れ墨店を開設したことにより損害を被ったとして、原告が被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づき、損害賠償金132万円及びこれに対する訴状送達日の翌日である平成28年6月10日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

裁判所の判断

改行、強調などは筆者による。

 1 争点(1)(本件競業避止条項の有効性)について

 

 原告は、被告が本件競業避止条項に反して原告店舗から1.5キロメートル以内の場所に被告店舗を開設し、客に入れ墨の施術をする業務を行っているとして、損害賠償請求を行っている。

これに対し、被告は、本件競業避止条項が無効であると主張して、原告の請求を争っている。

 そこで検討するに、本件競業避止条項の趣旨は、原告店舗を含む原告が開設する入れ墨店の営業や業務を保護するものと解される。

 

 しかしながら、医師免許を有しない者が客に入れ墨の施術を行うことは、その客等に肝炎ウイルス等による重篤感染症に罹患する危険性を生じさせるものであるほか、注入される色素によってアレルギー反応等を引き起こすなどの危険性もある行為であることは、公知の事実というべきである。

厚生労働省医政局医事課長による通達(乙7)においても、「針先に色素を付けながら、皮膚の表面に墨等の色素を入れる行為」は、「医師が行うのでなければ保健衛生上危害の生ずるおそれのある行為であり、医師免許を有しない者が業として行えば医師法第17条に違反する」ものであって、「違反行為に関する情報に接した際には、実態を調査した上、行為の速やかな停止を勧告するなど必要な指導を行うほか、指導を行っても改善がみられないなど、悪質な場合においては、刑事訴訟法第239条の規定に基づく告発を念頭に置きつつ警察と適切な連携を図られたい」とされており、実際にも、業として入れ墨の施術を行った者に対して医師法違反の罪により有罪判決が出されてもいる(乙9)

 

 これらの事情からすると、業として客に入れ墨の施術を行うことは、医師法に違反する違法な行為というべきであって、この結論は、入れ墨の社会的認識等に関する原告の主張によって左右されない。本件競業避止条項に違反したことを理由とする裁判上の損害賠償請求を認容することは、違法行為を保護することにほかならず、民法90条の趣旨に照らし許されないというべきである。

 

 そうすると、本件競業避止条項は、当事者間における紳士協定のようなものとして効力が肯定されるかは別としても、これに違反した場合に裁判上の損害賠償請求をするための根拠とする規定としては、公序良俗に反し無効というべきである。

 

原告は、被告が本件契約に基づき原告店舗で稼働し多額の報酬を得ていたこと等からすると、被告が本件競業避止条項の無効を主張することは信義則上許されない旨主張しているが、違法行為に保護を与えないとの原則を覆すほどの事情であるとは考え難く、原告の主張は採用できない。

 以上によれば、被告が本件競業避止条項に違反して被告店舗で営業を開始したことを理由とする原告の請求には理由がない。

 

民法第90条
公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。

一般の人は民法ではこれと家族関係のところだけ知っておけば良いと思うし、私も民法はこれら以外の分野は知りません。

 

まあ、何らかの原因で違法な商売で得られる利益を失ったとしても裁判所は損害賠償を認めない、ということです。

 

なので整体店やリラクゼーション店で、このような競業禁止条項を含んだ契約を結んでも無効なのです。

 

これが交通事故での人身傷害であれば賃金センサス(男女年齢学歴別の平均賃金)に基づいた損害賠償を認められたりもするのですが、この件は身体を傷つけたわけではなく、純粋に利益を失っただけです。

 

違法業務と交通事故に関しては下記まとめを。

togetter.com

 

もし整体師などと交通事故を起こして、賃金センサス以上の休業損害額を求められたら拒否してください。

 

整体やリラクゼーションなどと不正競争防止法(品質誤認惹起表示)

(2020/01/17追記)

不正競争防止法改正により、該当号数が変わったため訂正

(追記終わり)

 

 

整体院のチラシだが、「整体師(有国家資格)」と書いてある。

記述内容から判断すると理学療法士(PT)か作業療法士(OT)かと思われる(おそらくPT)。看護師の可能性も否定出来ないけど。

 

理学療法士及び作業療法士

理学療法士及び作業療法士法に於いては

第十五条 理学療法士又は作業療法士は、保健師助産師看護師法(昭和二十三年法律第二百三号)第三十一条第一項及び第三十二条の規定にかかわらず、診療の補助として理学療法又は作業療法を行なうことを業とすることができる。


2 理学療法士が、病院若しくは診療所において、又は医師の具体的な指示を受けて、理学療法として行なうマツサージについては、あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律(昭和二十二年法律第二百十七号)第一条の規定は、適用しない。


3 前二項の規定は、第七条第一項の規定により理学療法士又は作業療法士の名称の使用の停止を命ぜられている者については、適用しない。

とあり、あくまでも「診療の補助」、「病院、診療所において」、「医師の具体的な指示」などといった条件があり、独立判断での施術行為は認められていない。

 

なので医師やあん摩マッサージ指圧師など、独立判断施術を行える免許を保有していないPTなどが、独立判断の施術を行う整体院などの広告で、国家資格を保有することを表示することは不正競争防止法の品質誤認惹起表示に該当する。

 

品質誤認惹起表示

品質誤認惹起表示というのは不正競争防止法第2条第1項第20号に定義されている。

第二条 この法律において「不正競争」とは、次に掲げるものをいう。

(略)

二十 商品若しくは役務若しくはその広告若しくは取引に用いる書類若しくは通信にその商品の原産地、品質、内容、製造方法、用途若しくは数量若しくはその役務の質、内容、用途若しくは数量について誤認させるような表示をし、又はその表示をした商品を譲渡し、引き渡し、譲渡若しくは引渡しのために展示し、輸出し、輸入し、若しくは電気通信回線を通じて提供し、若しくはその表示をして役務を提供する行為

(省略)

長いので当業界や整体、リラクゼーション業(役務)に限定して書き直すと

役務若しくはその広告若しくは取引に用いる書類若しくは通信にその役務の質、内容、用途若しくは数量について誤認させるような表示をし、又はその表示をして役務を提供する行為

という感じである。

 

不正競争防止法は「事業者間の公正な競争」を確保し、「国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。」*1

 

よって、不正競争を行った事業者に対し、他の競合事業者は不正競争行為の差止を求めたり、それによって生じた損害の賠償を請求できる。

 

他の目的で得られた認証を別の目的の製品の説明表示に用いたことが品質誤認惹起表示とされた裁判例

大阪地裁平成7年2月28日判決 平成3(ワ)3669号
出典 判例時報1530号96頁

不燃材料の認定は主たる用途を定めてなされるものであり、被告表示一〈1〉〈2〉〈5〉の不燃認定番号も、前示のとおりいずれも主たる用途を「建築物の屋根・壁・天井」として建設大臣の認定を受けた認定番号であり、主たる用途を「フランジガスケット材」として認定を受けたものではないから、「建築物の屋根・壁・天井」とは全く用途の異なるフランジガスケット材について使用する右各表示は、誤認惹起表示に当たるといわざるを得ない。

 

この裁判例では認定を受けた物、誤認惹起表示と認定された物、どちらも不燃材料である。しかし両製品の目的は違う。

 

これを今回の広告に置き換えれば、PTの免許は医師の指示に基づいて施術を行える免許である。

それに対し、あん摩マッサージ指圧師は独立判断での施術を認められている。

医学的知識や施術能力は共通していると言えるが、前述の業務の違いにより求められる診察能力も異なる。

 

これと同様のことは鍼灸マッサージ師と柔道整復師の間にも言える。

捻挫や打撲などの急性外傷に対する施術を目的とした柔道整復師の免許のみを持つ者が、慢性疾患や疲労回復目的のための施術を広告する際、国家資格を有することを表示することは同様に品質誤認惹起表示に該当すると考えられる。

binbocchama.hatenablog.com

 

また加入している協同組合が厚生労働大臣認定であることを示すのも、役務の質について誤認を与えるのであれば品質誤認惹起表示となる。

協同組合の認定で必要なのは財政的基盤や横領などを防ぐ人的な要件であり、施術の安全や効果に関してはなんら厚労省は判断していないのだ。

f:id:binbocchama:20180316134857j:plain

binbocchama.hatenablog.com

 

清酒特級に劣らない優良な酒であっても、審査を受けずに「特級」を表示するのは品質誤認惹起表示である。

不正競争防止法違反 最一小昭和50(あ)1277

級別の審査・認定を受けなかつたため酒税法清酒二級とされた商品であるびん詰の清酒清酒特級の表示証を貼付する行為は、たとえその清酒の品質が実質的に清酒特級に劣らない優良のものであつても、不正競争防止法五条一号違反の罪を構成する。

5条1号とありますが、不正競争防止法は平成5年に全部改正が行われており、 現在の不正競争防止法と条数などが一致しません。

昔は日本酒に級制度があり、その級に応じて酒税率が変わっていたのです。

日本酒級別制度 - Wikipedia

で、国の審査を受けずに「特級」と表示したのが品質誤認惹起表示に問われ、実際に特級相当の品質であっても審査を受けずに表示するのは品質誤認惹起表示に該当する、と最高裁で判示されたわけです。

 

では、免許を持ってないと行えない行為(要免許行為)を、無免許であるにも関わらず、広告などで表示する行為は品質誤認惹起表示か?

 

 この業界以外に、無免許業者が堂々と営業している業界なんて無いものですから、無免許業者が要免許行為を表示した裁判例は、私が知る限りはありません。

しかし不正競争防止法の目的は不正競争の防止などの措置を講じ、「国民経済の健全な発展に寄与すること」を目的としており、無免許行為を宣伝することを放置すること「健全な発展」を阻害こそすれ、寄与することは無いでしょう。

 

前掲の判例が、実際に特級品質に相当していたとしても品質誤認惹起表示の罪が成立する、としているのですから、無免許施術者の診察能力の有無に関わらず、診察行為を行う旨、表示していれば品質誤認惹起表示に該当すると思われます。

--2018/03/19追記---

ネットの誹謗中傷対策業者に対し、弁護士が品質誤認惹起表示で訴えた事案では、原告が、被告の行為が違法業務(非弁行為、弁護士法第72条違反)と主張。 

知財高裁は被告の表示行為が非弁行為に該当するか否かを検証し、非弁行為に該当せず、として品質誤認惹起表示に該当せず、と判断している。

知財高裁平成27(ネ)10119

---追記終わり---

 

 

無免許医業の罪は行為者の能力には関係無い旨の裁判例もあります。

東京高裁平成6(う)646

不利益事実の不告知

また無免許業者が

  • 手技療法にはあん摩マッサージ指圧師の国家資格があること、手技療法に限定しなければはり師、きゅう師といった国家資格があること。
  • 自らが無免許であること

ことを消費者に伝えていない場合、消費者契約法上における不利益事実の不告知として施術契約は取り消し可能と思われます。

 

では不利益事実を表示しないことは不正競争防止法の品質誤認惹起表示か?

これまた私は裁判例を知らないのです。

 

国会議事録

衆議院会議録情報 第196回国会 予算委員会第七分科会 第1号

より抜粋。装飾は筆者による。

伊佐分科員は大阪6区選出の衆議院議員公明党)。

木村政府参考人経済産業省大臣官房審議官。

藤木政府参考人経済産業省大臣官房商務・サービス審議官。

○伊佐分科員

 リラクゼーションと呼ばれるところ、いろいろな会社の例えば広告を見ると、問診しますよとか体の状況について検査しますよ、アドバイスしますよと書いているものもあるんです。これは、免許がなければ、本来、法的には行っちゃいけないことなんです

 あるいは、ある業者のホームページには、当社では、全てのセラピストが、厚生労働大臣認可組合の公認セラピストとして認定を受けております、こういう広告があります。これは、厚生労働大臣認可、当然あはきとか柔整以外の施術に対して厚労大臣が認可することはありません。ないんですが、ここで言っていることは、厚労大臣が認可する協同組合、この組合が認定するセラピストなんですよということを言っているんですが、これだけぱっと見ると、本来、だから安全性とか有効性とは全く無関係、サービスの質とは無関係なんですが、何かこれが厚生労働大臣認可をもらっているような誤認を与えるんじゃないかと思っております。

 こうした例というのは、不競法、不正競争防止法上ひっかかるんじゃないかと思うんですが、いかがでしょうか。

 

○木村政府参考人

 お答え申し上げます。
 不正競争防止法では、商品やサービスに関し、その品質や内容などについて誤認させるような表示を行う行為を不正競争行為と位置づけまして、民事上の措置及び刑事上の措置を規定しているところでございます。

 御指摘のような事案は、実際にはケース・バイ・ケースでございまして、個別の事案が不正競争行為に該当するかどうかの判断は司法当局においてなされるものでございますけれども、御指摘のあったような表示をすることが実際に役務の質や内容を誤認させるようなものである場合には、不正競争行為に当たり得るものと考えてございます。

 

○伊佐分科員

 今、当たり得るという答弁をいただきました。

 これは、不競法というのは対ビジネス、ビジネス間の公正な競争というのを担保するということですが、対消費者という観点でいきますと、消費者庁の景表法、景品表示法になると思います。不競法上についてもそういうあり得るということですので、恐らく景表法上、きょう消費者庁は呼んでいませんが、これも違法に問われる可能性があり得るんだというふうに私は認識をしております

(省略)
 そういう意味でも、このリラクゼーション業というものでは、一部不適切な表示をしているような事業者もいると聞いています。こういうことを政府が後押ししているんじゃないかという厳しい声が私のところに届いていますので、ぜひ、そういう誤解を与えることのないように、経産省でも施策の展開をしていただきたい。
 むしろ、この有識者の、鍼灸マッサージ師の方々をヘルスケア戦略に積極的に組み込んでいく、こういうような取組をしていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。

 

○藤木政府参考人

 経産省として、リラクゼーション業を含むサービス業を振興するという役割を担っているわけでございますが、これらの業を行う方々が先ほどありました不正競争防止法を始め関連法令を遵守しなければならないということは、当然の前提であるというふうに思っております。

 健全な業界の発展に当たっては、適切にサービスが提供される必要があるというふうに考えておりまして、例えば、一般社団法人日本リラクゼーション業協会というところでも、自主基準というのをつくられまして、その中で例えば広告のあり方、あるいは行う手技のあり方ということについて一定の基準を設けて、その周知を図られているというふうに聞いているところでございます。まさに、その業が適正に行われるということが大前提であるということを申し上げたいと思います。

 さらに、あんまマッサージ指圧師等の医療をやられている方々、この方々とも連携、これによってヘルスケア産業全体を盛り上げていくという視点は、非常に大切な視点であるというふうに思っております。

 今後とも、こういった関連の事業者の皆様方と連携しながら、ヘルスケアサービスの一層の振興ということに取り組んでまいりたいというふうに思っております。

 

○伊佐分科員

 しっかり指導していただきたいと思います。
 このあはきの世界というのは、御案内のとおり視覚障害者の方もたくさんいらっしゃって、生計にとって本当に大事な部分を占めておりますので、ぜひ、守るべきものはしっかり守らせるという指導をよろしくお願いしたいと思います。

 

藤木政府参考人の答弁の中にあった、一般社団法人 日本リラクゼーション業協会に加入している、ある業者のホームページのスクリーンショット(加工済み)

f:id:binbocchama:20180316163554j:plain

 

2018/03/19現在でも訂正されていない模様。

2018/04/16 表現の削除を確認。但し、役務の質について誤認を招く表示を行った旨はお知らせのページでは告知していない。

 

2018/11/03 

http://www.bodywork.co.jp/news

 を2018年3月分まで確認しても優良誤認表示を行った旨の表示は見当たらず。「不正競争 or 優良誤認表示 site:bodywork.co.jp」でも検索されず。

f:id:binbocchama:20181103221814p:plain

 

*1:不正競争防止法第1条 この法律は、事業者間の公正な競争及びこれに関する国際約束の的確な実施を確保するため、不正競争の防止及び不正競争に係る損害賠償に関する措置等を講じ、もって国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。