りゅうちぇる氏が家族の名前のタトゥーを彫り、インスタで公開した件でいろいろ議論がなされているので、私も書いてみる。
施術する側の違法性
(2019/06/08追記)
控訴審で逆転無罪判決が出されました。
大阪高検が上告中。
(追記終わり)
医師免許無しでタトゥー(入れ墨)を彫ることが医師法第17条違反(無免許医業)であることは既に刑事裁判の判決がある。
今後、最高裁まで争われると思う。
なお、無免許医業を受ける方は特に違法性は無い。
ましてや医師からタトゥーを彫ってもらったのであれば法的な問題は皆無となる。
もっとも彫師もしている医師は珍しく、通常は違法施術で彫られているのだから、入れ墨を入れている旨を公言するのはいかがなものかと思う。
力の誇示やマウンティングツールとしての入れ墨
入浴施設やプールで入れ墨を入れた者の排除理由としては暴力団関係者の排除や、一般人の恐怖といったところだろう。
刺青を見せられることで、一般人は畏怖することになり、自分が先に洗い場に並んでいても譲らざるを得なくなり、サウナから出なければ行けなくなる。一般人は刺青を前にするだけで自由を制限されるのが実情では。その他の畏怖の対象を含めないのは、刺青狙い撃ちの差別と言われる可能性はあり。 https://t.co/bx6UI33tS5
— あわわ (@bubblinkace) 2018年8月24日
アウトローが入れ墨を入れる理由として納得できそうな記事が匿名ダイアリーにあった。
詳しくはリンク先記事を読んでほしいが
不倫然りタトゥーしかり何かを必死に叩いてる人は自分がただ嫉妬してるだけってことに早く気づいたほうがいい。日本は同調圧力が凄まじい上に自己肯定感を低くする教育ばかり行う国だから、自分より自己肯定感が高くて自由に振舞ってる人間が羨ましくて許せないだけ。いつまで「世間」に騙されてんの?
— 小野美由紀(「メゾン刻の湯」) (@Miyki_Ono) August 22, 2018
のツイートを引用した上で
https://twitter.com/Miyki_Ono/status/1032259138384887813
まさにこれ、強くてパワーがあるのを嫉妬してるんでしょ、一番が怖いんでしょ、うらやましいんでしょ、という輩がでてくる。こういった威力を感じて有用性を感じる人間が、ただ自分が満足するために体にほった名前ではない、人にみせて何かに使うため、少なくとも羨望や嫉妬を招くためにしているという前提を持つことが問題である。
それを交渉につかう、少なくとも現在SNSで自己の優位性主張のために利用しているという、この利用のために使われるべきものではないという事である。
それを使うから否定され敬遠さえるという事自体に気が付くべきだ。
タトゥー・入れ墨の種類
タトゥー・入れ墨を入れる理由を重複を無視して大まかにわけると
- 刑罰
- マウンティング
- 覚悟や決意、帰属組織を示す
- 個体認識
- 魔除け・お守りなどの呪術的意味
- 傷跡隠し
- 身体の説明
- ファッション
といったところであろう。
1は現在の日本では無く、暴力団が入れ墨を入れるのは2,3といった理由であろう。
4の個体認識は死亡時の身元確認であり、漁師や火消しが入れ墨を入れていたのはこの理由である。そしてDNA鑑定が可能な現在、身元確認に入れ墨は不要である。
5は民族的・宗教的な入れ墨はこの類であろう。
6,7は下記記事に書かれているように、傷跡を隠したり、ペースメーカーを埋め込んでいることを知らせたり、耳が聴こえない旨のサインである。
で、本人たちが上記の目的を有しているか否かを問わず、ファッション目的でタトゥーを入れることもあるようだ。
覚悟とマウンティング
前掲の匿名ダイアリーより
「おまえの一番愛するものに名前をきざんでもいないやつがそれ本当に大事といえるの?ちょっと貸してくれや」と交渉をされたとき
「命を賭してまもると決めてますんで」といえるだろうか。そしてまもるための最終手段を持っているだろうか。
持っていないという不安につけこんで、最大限安全な退路の選択をさせられ不利益を与えられる可能性が危惧されないだろうか。
「されない、どんな暴力にも屈さないし9条が守ってくれる」というならそれで守れるだろう。
しかし、実際ここで殴られた、引きはがされた、もっていかれたを解決できないかもしれないという不安が一瞬よぎったら、そこにあらゆる1番が押し掛けてくる。
たたみこんでくるように準備されているものと、突発的に不安な事象と遭遇する一般人、これで平等な交渉がなされるだろうかといえば不安ではないか。
で、りゅうちぇる氏に関し、
先般のりゅうちぇるについても、親が龍を背負っていたから自分はどうなった、というわけでもなく、龍をせおった父親はほかの父親の息子に対する愛よりふかかったのか、といえるわけではないはずである。
入れ墨をいれていない父親はよわいのでくじけておれるだろうが、芸能人になれた僕の父親はドラゴンの入れ墨をしていた、と言えるのか。
どうしてパパは僕を応援するために入れ墨をしてくれないの?などと子供が言い出したりするような言い回しでなければ、だ。
パパは弱くて忘れっぽいので、みんなとずっと一緒であることを忘れないために刻んだんだ、といえば、私も同情の念を抱かざるを得ない。
名前を体に刻むかどうかで子供に対する思いに優劣がつけられるのか、という話である。
他の匿名ダイアリーでも
嫁子供の名前を刻まないと背負えないなんて情けない。
世間のお父さんは綺麗な身体で嫁子供を背負って、それで夏休みには気兼ねなくプールや温泉で我が子と遊ぶんだよ。
そっちの父親のほうが遥かにカッコイイし、前者を引き合いにして並べるなんてヒョロヒョロぶりが気の毒過ぎて逆にこっちが謝りたくなるほどよ。
と書かれていたり。
りゅうちぇる氏自身も
https://www.instagram.com/p/BmvbjKEhX6x/?hl=ja&taken-by=ryuzi33world929
この体で、僕は大切な家族の笑顔を守るのです。なので、この体に、大切な家族の名前を刻みました。
とインスタに書いており、家族への思いと名前を刻むことを関連付けているわけである。
日本人が入れ墨を入れた者に対して嫌悪感を持つのは威圧感からであり、家族の名前を普通のフォントで書かれている場合には威圧感を抱かないかもしれない。
しかし自らの覚悟を示すために名前を体に入れている旨を公表すれば、無意識的にマウンティングを受けたと感じた、一般人である親たちの反発を受けることは止むを得まい。
ましてや誰に聞かれたわけでもなく、自らタトゥーの存在を示したとあれば、その性格について疑問を抱かれても仕方あるまい。
マウンティングでないタトゥー
魔除け・お守りとして
前掲の匿名ダイアリーで、入れ墨が受け入れられるためには
日本でタトゥー、入れ墨するなら、自分が弱いからという主張か、絶対に見せないという前提がなければむつかしいという現状くらいはわかったうえで
それでもなお入れざるを得ないという状況に自分が差し迫っているということでもなければ主張はできないだろう。
(中略)
主張をするなら、日本では反発をうける、その理由は前述のとおりで、それを超えて受け入れられ主張をしたいのではれば、方法としてなくはない、ということである。
子供になぜパパは一番じゃないの?最高はあらゆる高級品と体に印があって家族を愛してくれてるけど、うちにはなにがあるの?と聞かれて、答えるすべを庶民に残しているかということである。
そして現状、主張をするほとんどが、否定される方向で努力をしているということでもある。
と入れ墨をしていない一般人を卑下しない形での言い訳が必要、というわけである。
仮に、自分は浮気性であるから配偶者以外の女性と不適切な関係にならないよう、妻子の名前を刻んでいる、と説明されたらタトゥーを彫ること自体は批判できないのではないか。
あるいは薬物中毒者が自分の見える範囲に、戒めの言葉を刻むなど。
もっともこれで神や仏様を彫るようになると、今度は信仰心の強さのマウンティングが始まりそうである。
身体に関する説明としてのタトゥー
前掲の記事に書かれているが、ペースメーカー装着や片耳が聞こえない旨のサインなどはマウンティングとは無縁と思われる。
もっとも病気自慢という言葉もあるので、断定もできないが。
ピクトグラムを決めておけば良いのではないか。
もちろん、無資格医業ではなく、ちゃんと病院や診療所で施術すべき案件だ。
偏見のある社会を変えていきたい… #ワイドナショー pic.twitter.com/78jlJ4RDwz
— 雅(みやび)@戯雅 (@Galakuta09) 2018年8月26日
傷跡隠し
傷跡を隠すためのタトゥーである。
あるいは乳房切除の後の乳首の再建など。
乳頭再建などは普通の体に近づける施術であるので、黙っていればわからず、温泉経営者や一般の方も排除しようと思わないだろう。
しかし傷跡となると難しい。
他者を不快にさせる図柄は避けるべきであるが定義が難しい。
また傷跡隠しと主張されて、その真偽をどう確認できるか。
せいぜいシールで隠してもらうしか対応のしようがないのでは?
ファッションタトゥー
暴力団ではない、タトゥーは一般的になっている、と主張される方々はファッションタトゥーであることを前提にしていると思う。
しかしマウンティングツール、つまり力や精神性の誇示ツールとしてないと言い切れるのか。
温泉の場合
温泉は裸で入るところである。
そこで主義・主張を示すような物を見せられるのは不快なのである。
前掲の匿名ダイアリーで
ここで服は借りて着まわせばだれでもそのポストにつくことはできる。それよりも上の人としての価値(前述までの高級感)を上げるにはどうするか。
入れ墨である。体に特徴を持たせるのである。顔面の傷などもそうである。指がないといったものもそうである。
ここでまた話は脱線するが、僧侶は坊主である。なぜか。特徴をなくすためである。個人ではなく組織としての一部であるためである。
と個としての存在を消すために僧侶は坊主である、と書いてあったが、丸裸である(個性を消している)温泉で個性を主張することは生理的に受け入れ難いのではないか。
また丸裸な空間で、ドクロ柄や虎など、死や危険性を連想させる図柄を強制的に見せられるのはいかがなものか。
ヲタトゥー
私自身、オタク趣味の持ち主なわけで、これらの図柄では威圧感は感じないと思う。
もっともそれはキャラクターによりけりだし、知らない人から見れば威圧感を感じることもあろう。
刺青の素材として弁財天はわりとポピュラーなようだが、そのような女神を彫るのと、崇拝する萌キャラを彫ることに明確な区別はあるのか。
それより問題なのはキャラクターへの愛の強さを示すために入れる人が出てくるのでは、という懸念である。
若いときに好きなキャラクターを彫ったが、後年、興味が無くなる可能性もある。私自身もそんな変遷をたどっている。
これが痛車なら塗り直しも可能だし、車は買い替えていく物である。
なんかまとまりが無いが、この辺にしておこう。