障害者には就労させずとも、障害年金などを与えれば良い、とはいかない。

視覚障害者の生活維持を目的とした、あはき法第19条は合憲である、という判決が東京地裁で出された。

headlines.yahoo.co.jp

 視覚障害者の生計を守るため、視覚障害がない人向けの「あん摩マッサージ指圧師」の養成学校を制限した法律が憲法の保障する「職業選択の自由」に反するかが争われた訴訟の判決で、東京地裁(古田孝夫裁判長)は16日、「制限は必要かつ合理的で、違憲とはいえない」として原告側の請求を棄却した。原告側は控訴する方針。

(略)

問題になったのは「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律」(あはき師法)。1964年の改正法は視覚障害者の生計を守るため、当分の間、マッサージ師の養成学校の設立を制限できると規定。国はこれを根拠に学校側の申請を退けていた。

 判決は、法整備などで視覚障害者をめぐる社会情勢が改善されていることは認めつつ、「視覚障害者にとって、マッサージ業の重要度が保護を必要としないほど低下したとはいえない」と指摘。今でも視覚障害者はマッサージ師の仕事に依存しており、学校を制限しなければマッサージ師の数が増えて視覚障害者の仕事を圧迫すると判断した。

 

詳しい論評は判決文を読んでからと考えていたが、シロクマ氏がこのタイミングで、ベーシックインカムと労働について書いた記事を投稿されたので、思うところを書いていく。

www.shirokumaice.com

 

裁判では原告が、19条の合憲性として国が提出した「あん摩マッサージ指圧の受療状況と当該施術所の実態に関する調査研究」に疑義を出した。

そして医道の日本2019年6月号に、原告主張に対する、研究代表者による反論が掲載されている。

2019年6月号|バックナンバー|月刊 医道の日本|医道の日本社

 当該反論記事より引用。

昨年、青森放送ラジオの「耳の新聞」は、平成医療学園(筆者注:原告)理事長からの回答書(芦野純夫氏代筆)として、「視力障害者免許者の生活向上は福祉の充実で叶えられるもの」と報じた。…人権感覚とはおよそかけ離れた発言であり、差別しそうに裏打ちされた原告の底意が垣間見える。

 働くことは権利・人権か?というと憲法では

第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

というわけで人権である。

今回の裁判、憲法22条の職業選択の自由が争点となったわけだが、憲法22条に違反すると法令違憲の判断をした薬局距離制限違憲事件の大法廷判決では

 (一) 憲法二二条一項は、何人も、公共の福祉に反しないかぎり、職業選択の自由を有すると規定している。

職業は、人が自己の生計を維持するためにする継続的活動であるとともに、分業社会においては、これを通じて社会の存続と発展に寄与する社会的機能分担の活動たる性質を有し、各人が自己のもつ個性を全うすべき場として、個人の人格的価値とも不可分の関連を有するものである。

右規定が職業選択の自由基本的人権の一つとして保障したゆえんも、現代社会における職業のもつ右のような性格と意義にあるものということができる。

と判示している。

さて、シロクマ氏の記事では

 誰もが面白くて豊かな人間になれるなら、ベーシックインカムの時代は薔薇色に違いない。ところが世の中には、仕事を失ってしまったら自尊心の宛先もモチベーションも見失ってしまう人々がいたりもする。歌や踊りやトークにもともと向いていなかったのか、それとも資本主義の下僕として真面目にトレーニングを積み重ねてきた結果としてそうなのか、ともあれ世の中には仕事に救われている人間、仕事がいちばん向いている人間が存在する。そのような人々にとって、ベーシックインカムの時代はユートピアとは言い難い。少なくとも、面白さや豊かさに恵まれた人間に比べると分が悪いだろう。

と書かれている(強調は筆者による。)。

 

19条問題は、ベーシックインカムと職業に関する将来の問題が先に表面化しているのではないか、と思ったりする。