あはき法に関わると思われる最高裁判所大法廷判決

本日は憲法記念日である。

なので、あはき法に関わると思われる最高裁判所大法廷判決を見ていこうと思う。

 大法廷と小法廷の違い

最高裁判所大法廷と小法廷との違いであるが、wikipediaによると、大法廷で扱う事件は以下に限定される。

  1. 当事者の主張に基づいて、法律、条例、命令、規則、又は処分の日本国憲法(以下「憲法」)との適合の是非を判断するとき(意見が前に大法廷でした、その法律、命令、規則、又は処分が憲法に適合するとの裁判と同じであるときを除く)
  2. 上記の場合を除いて、法律、条例、命令、規則、又は処分が憲法に適合しないと認めるとき
  3. 憲法その他の法令の解釈適用について、意見が前に最高裁判所のした裁判に反するとき
  4. 小法廷の裁判官の意見が数説に分かれ各々同数の場合
  5. 裁判官の分限裁判
  6. 人事官の弾劾裁判
  7. 国政選挙における一票の格差問題と憲法の適合の是非など小法廷が大法廷に回付することを相当と認めたとき

まあ、憲法判断を求められる、以前の判例を変更する、というのが大法廷に事件が回付される主要な理由である。去年の強制わいせつ罪の判例変更は3に該当する。

そして一度、憲法判断がされた事柄に関して、同じような理由で小法廷が最高裁への上告を棄却する場合、大法廷判決を引用して棄却する。*1

例えば司法書士法憲法22条(職業選択の自由)が争われた裁判では第三小法廷が、後で紹介する歯科医師法違反大法廷判決(昭和33(あ)411)を引用して被告人の上告を棄却している。*2

以下、漢数字は算用数字に変えて引用する。

 所論は、司法書士法19条1項、25条1項は、憲法22条1項に違反すると主張する。

しかし、司法書士法の右各規定は、登記制度が国民の権利義務等社会生活上の利益に重大な影響を及ぼすものであることなどにかんがみ、法律に別段の定めがある場合を除き、司法書士及び公共嘱託登記司法書士協会以外の者が、他人の嘱託を受けて、登記に関する手続について代理する業務及び登記申請書類を作成する業務を行うことを禁止し、これに違反した者を処罰することにしたものであって、右規制が公共の福祉に合致した合理的なもので憲法22条1項に違反するものでないことは、当裁判所の判例最高裁昭和33年(あ)第411号同34年7月8日大法廷判決・刑集13巻7号1132頁最高裁昭和43年(行ツ)第120号同年4月30日大法廷判決・民集29巻4号572頁)の趣旨に徴し明らかである。

所論は理由がない。

 なお、昭和43(行ツ)120は2番めの法令違憲判決として有名な薬局距離制限事件である。

 

昭和34年7月8日判決歯科医師法違反事件(昭和33(あ)411

この事件は歯科医師免許を持たない歯科技工士が、歯科技工士法第20条で禁止されている印象採得などの歯科医行為を業として行なった、として歯科医師法第17条違反に問われた事件である。

歯科技工士法第20条

歯科技工士は、その業務を行うに当つては、印象採得、咬合採得、試適、装着その他歯科医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずるおそれのある行為をしてはならない。

なお、歯科技工士法第20条に直接の罰則規定はなく、処罰は歯科医師法第17条違反として行われる。

鍼灸マッサージ師や柔道整復師は外科手術や投薬をそれぞれの法律で禁止されているが、直接の罰則規定はなく、医師法第17条違反で処罰されるのと同様である。

 

またこの昭和34年判決に関与した11名の裁判官が、あはき法第12条の昭和35年判決にも関わっている。うち、8名が昭和35年判決の多数意見である。歯科医師法違反事件は全員一致の判決であった。故に昭和35年の判決で示された「人の健康に害を及ぼすおそれのある行為」の基準もここから推測できよう。

 思うに、印象採得、咬合採得、試適、嵌入が歯科医業に属することは、歯科医師法17条、歯科技工法20条の規定に照し明らかであるが(なお、昭和26年(あ)4476号、同28年6月28日第二小法廷判決、集七巻六号一三八九頁参照)、右施術は総義歯の作り換えに伴う場合であつても、同じく歯科医業の範囲に属するものと解するを相当とする。

けだし、施術者は右の場合であつても、患者の口腔を診察した上、施術の適否を判断し、患部に即応する適正な処置を施すことを必要とするものであり、その施術の如何によつては、右法条にいわゆる患者の保健衛生上危害を生ずるのおそれがないわけではないからである

されば、歯科医師でない歯科技工士は歯科医師法17条、歯科技工法20条により右のような行為をしてはならないものであり、そしてこの制限は、事柄が右のような保健衛生上危害を生ずるのおそれなきを保し難いという理由に基いているのであるから、国民の保健衛生を保護するという公共の福祉のための当然の制限であり、これを以て職業の自由を保障する憲法二二条に違反するものと解するを得ないのは勿論、同法一三条の規定を誤つて解釈したものとも云い難い。

所論は、右に反する独自の見解に立脚するものであつて、採るを得ない。

つまり、法による印象採得等の制限は、印象採得などが、総義歯の作り変えに伴う場合であっても保健衛生上、危害を生ずるのおそれなきを保し難いという理由に基いているのであるから、国民の保健衛生を保護するという公共の福祉のための当然の制限である。

 

逆に言えば、総義歯の入れ替えに伴う印象採得などが、保健衛生上、危害を生ずるおそれが無いことを保てるなら、総義歯入れ替えに伴う印象採得などを非歯科医師が行っても良い、と解釈できる。

無論、総義歯入れ替えに伴う印象採得であっても、危害を生じる恐れが無いことを保てないから非歯科医師による印象採得などを禁じる歯科技工士法第20条などを合憲と判断しているのである。

 

昭和35年1月27日判決あはき法第12条違反(医業類似行為)(昭和29(あ)2990

我が業界を苦しめるばかりでなく、無免許施術が放置され、国民に健康被害をもたらし、あまつさえ死者さえ出すに至る原因となった昭和35年判決である。

 

ところで、医業類似行為を業とすることが公共の福祉に反するのは、かかる業務行為が人の健康に害を及ぼす虞があるからである。それ故前記法律が医業類似行為を業とすることを禁止処罰するのも人の健康に害を及ぼす虞のある業務行為に限局する趣旨と解しなければならないのであつて、このような禁止処罰は公共の福祉上必要であるから前記法律12条、14条は憲法22条に反するものではない。

とし、

しかるに、原審弁護人の本件HS式無熱高周波療法はいささかも人体に危害を与えず、また保健衛生上なんら悪影響がないのであるから、これが施行を業とするのは少しも公共の福祉に反せず従つて憲法22条によつて保障された職業選択の自由に属するとの控訴趣意に対し、原判決は被告人の業とした本件HS式無熱高周波療法が人の健康に害を及ぼす虞があるか否かの点についてはなんら判示するところがなく、ただ被告人が本件HS式無熱高周波療法を業として行つた事実だけで前記法律12条に違反したものと即断したことは、右法律の解釈を誤つた違法があるか理由不備の違法があり、右の違法は判決に影響を及ぼすものと認められるので、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものというべきである。

と判示し、仙台高裁へ審理を差し戻したのである。

仙台高裁は最高裁判決の解釈を誤ったか?

で、差し戻しを受けた仙台高裁ではHS式無熱高周波療法の危険性について複数の鑑定人による鑑定を比較し、危険性があるとして有罪にした。

togetter.com

 

さて、最高裁が問題にしたのは「人の健康に害を及ぼす虞があるか否かの点についてはなんら判示するところが」無い、という点である。

 

さて、これはHS式無熱高周波療法固有の危険性を判示すべきなのか?

それとも医業類似行為の一般的な危険性を判示すれば済む話であり、差し戻しを受けた仙台高裁は最高裁判決を誤って解釈し、複数の鑑定を比べる羽目になったのか。

 

最初の控訴審の判決には

而して右法律(筆者注:あはき法第12条)が之(筆者注:医業類似行為)を業とすることを禁止している趣旨は、かかる行為は時に人体に危害を生ぜしめる場合もあり、たとえ積極的にそのような危害を生ぜしめないまでも、人をして正当な医療を受ける機会を失わせ、ひいて疾病の治療恢復の時期を遅らせるが如き虞あり、之を自由に放任することは正常な医療の普及徹底並に公共の保健衛生の改善向上の為望ましくないので、国民の正当な医療を享受する機会を与え、わが国の保険衛生状態の改善向上をはかることを目的とするに在ると解される、

と判示しているので、医業類似行為が一般的に「人の健康以外を及ぼすおそれ」がある旨、判示していると言える。

よって、昭和35年判決は個々の医業類似行為に関して「人の健康に害を及ぼすおそれ」の立証を求めている、と解釈すべきであろう。

 

(2020/05/03追記)

おそれの有無について判断すれば良いと考えられる。

 

binbocchama.hatenablog.com

 

 

昭和34年歯科医師法違反事件と昭和35年医業類似行為判決の違い

歯科技工士法第20条は禁止行為を列挙している。

実際、歯科技工士が行いかねない歯科医行為は20条で列挙されている印象採得などの行為であろう。なのでこれらの行為の危険性を示すのは容易である。

それに比べて医業類似行為は行為の限定ができない。それゆえ、「保健衛生上危害を生ずるのおそれなきを保し」やすい行為まで禁止処罰の対象とするのは違憲と考えたようである。

昭和35年判決後、厚生省は下記の通知を出している。

○いわゆる無届医業類似行為業に関する最高裁判所の判決について
(昭和三五年三月三〇日)
(医発第二四七号の一各都道府県知事あて厚生省医務局長通知)


本年1月27日に別紙のとおり、いわゆる無届医業類似行為業に関する最高裁判所の判決があり、これに関し都道府県において医業類似行為業の取扱いに疑義が生じているやに聞き及んでいるが、この判決に対する当局の見解は、左記のとおりであるから通知する。

1 この判決は、医業類似行為業、すなわち、手技、温熱、電気、光線、刺戟等の療術行為業について判示したものであって、あん摩、はり、きゅう及び柔道整復の業に関しては判断していないものであるから、あん摩、はり、きゅう及び柔道整復を無免許で業として行なえば、その事実をもってあん摩師等法第一条及び第十四条第一号の規定により処罰の対象となるものであると解されること。
従って、無免許あん摩師等の取締りの方針は、従来どおりであること。
なお、無届の医業類似行為業者の行なう施術には、医師法違反にわたるおそれのあるものもあるので注意すること。

 

2 判決は、前項の医業類似行為業について、禁止処罰の対象となるのは、人の健康に害を及ぼす恐れのある業務に限局されると判示し、実際に禁止処罰を行なうには、単に業として人に施術を行なったという事実を認定するだけでなく、その施術が人の健康に害を及ぼす恐れがあることの認定が必要であるとしていること。
なお、当該医業類似行為の施術が医学的観点から少しでも人体に危害を及ぼすおそれがあれば、人の健康に害を及ぼす恐れがあるものとして禁止処罰の対象となるものと解されること。

 

3 判決は、第一項の医業類似行為業に関し、あん摩師等法第十九条第一項に規定する届出医業類似行為業者については、判示していないものであるから、これらの業者の当該業務に関する取扱いは、従来どおりであること。
別紙 略

歯科医師法違反事件の大法廷判決を考慮すれば「少しでも人体に危害を及ぼすおそれがあれば禁止処罰の対象となるものと解されること。」としたのは妥当であろう。

しかし平成3年の医業類似行為に関する通知では「少しでも」という表現が消えているのである。

あん摩マッサージ指圧、はり、きゅう及び柔道整復以外の医業類似行為については、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律第十二条の二により同法公布の際引き続き三か月以上医業類似行為を業としていた者で、届出をした者でなければこれを行ってはならないものであること。

したがって、これらの届出をしていない者については、昭和35年3月30日付け医発第247号の1厚生省医務局長通知で示したとおり、当該医業類似行為の施術が医学的観点から人体に危害を及ぼすおそれがあれば禁止処罰の対象となるものであること。

この問題に関しては機を改めて書きたい。

昭和36年2月15日判決あはき法広告規制違反事件(昭和29(あ)2861

あはき法第7条違反の裁判である。

第七条 あん摩業、マツサージ業、指圧業、はり業若しくはきゆう業又はこれらの施術所に関しては、何人も、いかなる方法によるを問わず、左に掲げる事項以外の事項について、広告をしてはならない。
一 施術者である旨並びに施術者の氏名及び住所
二 第一条に規定する業務の種類
三 施術所の名称、電話番号及び所在の場所を表示する事項
四 施術日又は施術時間
五 その他厚生労働大臣が指定する事項


○2 前項第一号乃至第三号に掲げる事項について広告をする場合にも、その内容は、施術者の技能、施術方法又は経歴に関する事項にわたつてはならない。

ちなみにこの広告規制が厳しすぎるのと、無免許業者の広告が野放しになっているので今年から、広告規制に関する検討会が開かれる。

www.mhlw.go.jp

裁判所サイトの表示で原審裁判所名が大津簡易裁判所となっている。

高等裁判所では無いのは大阪高裁が最高裁への移送を決定したからである。

なぜか?

事実関係に争いが無いからである。

そのため憲法判断のみ行えば良く、その場合には控訴審高等裁判所)を飛ばして、直接最高裁判所での審理が可能なのである。

この件は異なるのだが、刑事では跳躍上告、民事では飛越上告(飛躍上告)という。有名なのは砂川事件である。

砂川事件 - Wikipedia

 

 で、判決文を見てみよう。

しかし本法があん摩、はり、きゆう等の業務又は施術所に関し前記のような制限を設け、いわゆる適応症の広告をも許さないゆえんのものは、もしこれを無制限に許容するときは、患者を吸引しようとするためややもすれば虚偽誇大に流れ、一般大衆を惑わす虞があり、その結果適時適切な医療を受ける機会を失わせるような結果を招来することをおそれたためであつて、このような弊害を未然に防止するため一定事項以外の広告を禁止することは、国民の保健衛生上の見地から、公共の福祉を維持するためやむをえない措置として是認されなければならない。

されば同条は憲法二一条に違反せず、同条違反の論旨は理由がない。

なんと「もし」と仮定をつけた上で判示しているのである。

そしてこの広告規制違反事件は昭和35年判決に関わった裁判官の殆ど(この裁判の11名中10名)が関与している。

昭和35年判決で少数派だった3人のうち、田中裁判官は退官し、2人は多数派である。この判断は矛盾しない。

昭和35年判決で多数派、つまり医業類似行為に関しては個々に「人の健康以外を及ぼすおそれ」を認定すべき、とした裁判官のうち、この判決で多数派に回ったのは4人。垂水裁判官は補足意見で憲法31条の問題としているので昭和35年判決時の意見と矛盾しているかどうか、判断はつきにくいものの、3名は矛盾した判断をしている。

4名は昭和35年判決では多数派であり、この判決では少数意見(反対意見)である。筋は通っている。

 

この後、承認を受けていない医薬品、医療機器が効果・効能を宣伝したことが薬事法違反で処罰される際、この大法廷判決を引用して、憲法21条(表現の自由)に違反しない、と判示されるのである。

 

昭和40年7月14日薬事法違反事件(昭和38(あ)3179

判旨は「医薬品の販売業につき登録制を定めた旧薬事法第二九条第一項は、憲法第二二条第一項、第二五条に違反しない。」ということである。

 では判決文から。強調などは筆者による。

そして、同法がかような登録制度をとつているのは、販売される医薬品そのものがたとえ普通には人の健康に有益無害なものであるとしても、もしその販売業を自由に放任するならば、これにより、時として、それが非衛生的条件の下で保管されて変質変敗をきたすことなきを保しがたく、またその用法等の指導につき必要な知識経験を欠く者により販売されこれがため一般需要者をしてその使用を誤らせるなど、公衆に対する保健衛生上有害な結果を招来するおそれがあるからである。

このゆえに、同法は医薬品の製造業についてばかりでなく、その販売業についても画一的に登録制を設け、同法2条4項にいわゆる医薬品に該当する限りその販売について、一定の基準に相当する知識経験を有し、衛生的な設備と施設をそなえている者だけに登録を受けさせる建前をとり、もつて一般公衆に対する保健衛生上有害な結果の発生を未然に防止しようと配慮しているのであつて、右登録制は、ひつきよう公共の福祉を確保するための制度にほかならない。されば、旧薬事法29条1項は、憲法22条1項に違反するものではなく、これと同趣旨に出た原判決は相当であつて、論旨は理由がない。

「時として」と、広告規制違反事件判決と同様に仮定の例を出して、規制する法律が憲法22条に反しないと判示している。この大法廷判決は全員一致である。

なお、この判決の控訴審では*3

 所論は、右薬事法において「医薬品」の無登録販売を禁止しているのは、当該物質が人の健康に害を及ぼす虞れがある場合の販売に限る趣旨であつて、本件物質による療法は有益無害であるから、右薬事法の規定によつてこれが無登録販売を禁止することはできない筈であり、若し右薬事法の規定(第29条第1項)が右の如き場合をも罰する趣旨を包含しているとするならば、該規定は憲法に違反し無効である、原判決のこの点に関する判断には、右薬事法第29条の解釈を誤つた違法か理由不備があるというのである。

 

 しかしながら、右薬事法第29条第1項において、医薬品販売を登録制にしたのは、その医薬品の有効、無効又は有害、無害について、或いは販売業者の能力、資格又は適、不適等について、各私的判断に委することを禁じ、販売業を営むことを登録制として厚生大臣又は都道府県知事の監督を加えるべきものとするのが公共の福祉に合するものとしたが為であると認めるべきであつて、仮に被告人の主張する本件療法について被告人がそれを無害、有益であると信じているとしても、それを被告人個人の恣意的判断にまかすことを許さず、これを法の定める公的判断に服させるというのが法の趣旨であるというべきでかく解することが毫も憲法に違反しないことは検察官所論のとおりであり、医師法第17条の規定において、当該の者が医師としての実力を具えていると否とを問わず適法な医師の資格を有しない者に医業を禁止していること及び道路交通法第64条の規定において当該の者の運転技術の巧拙を問わず運転免許のない者に自動車運転を禁止していることが各公共の福祉に合致するものであると解され毫も怪しまれず、固より違憲と解すべき事由の存在しないことにおいて、類似の例証を観取し得るものといわなければならない。原判決が本件所為につき右法律第29条第1項違反としたことについては、憲法違反はもちろん、その他法律解釈の誤りもまた理由不備の違法も存在しない筋合であるというべきである。論旨は理由がない。

と判示している。医師法17条にも言及しているが、これと同様の判決はコンタクトレンズに関する医師法違反事件や、札幌高裁における歯科医師法違反事件でも見られる。*4

 

この大法廷判決を引用する形で、未承認医療機器の製造を処罰する際、「人の健康に害を及ぼすおそれ」を判断しなくて良い、という小法廷判決がある。*5

 なお、薬事法12条が製造業の許可を受けないで業として製造することを禁じている医療用具で同法2条4項、同法施行令一条別表第一の32に定めている「医療用吸引器」は、陰圧を発生持続させ、その吸引力により人(若しくは動物)の疾病の診断、治療若しくは予防に使用されること又は人(若しくは動物)の身体の構造若しくは機能に影響を及ぼすことを目的とする器具器械であれば足り、必ずしも電動力等の強力な動力装置を備えているもの又は専ら手術に用いられるものに限定されず、また、人の健康に害を及ぼす虞が具体的に認められるものであることを要しないもの(昭和38年(あ)第3179号同40年7月14日大法廷判決・刑集19巻5号554頁参照)と解すべきである。

医業類似行為や無免許でのあん摩・マッサージ・指圧が違法である旨、指摘する際にはこの大法廷判決を引用すれば良いのではないか。

 

昭和48年4月25日全農林警職法事件(昭和43(あ)2780

 

これは国家公務員法違反事件である。

事件そのものについてはwikipediaを参考にして欲しい。私はスト権については詳しくない。

全農林警職法事件 - Wikipedia

ただ、この判決はそれまで、国家公務員のスト禁止の規定を合憲限定解釈されていたのに対し、その限定を解除した、という意味で、我々が目指す、昭和35年判例の変更の参考となるべきものである。

特に下記の補足意見は示唆に富もう。

裁判官岸盛一、同天野武一の追加補足意見は、つぎのとおりである。
(略)

 

 

(二)つぎに、多数意見は、国公法110条一項一七号について、福岡高等裁判所判決(昭和四一年(う)第七二八号同四三年四月一八日判決)が示した限定解釈は犯罪構成要件の明確性を害するもので憲法31条違反の疑いがあるというが、われわれは、右の限定解釈は明らかに憲法31条に違反するばかりでなく、本来許さるべき限定解釈の限度を超えるものであるとすら考えるものである。すなわち、同判決は、国公法の右規定を限定的に解釈して、争議行為が政治目的のために行なわれるとか、暴力を伴うとか、または、国民生活に重大な障害をもたらす具体的危険が明白であるなど違法性の強い争議行為を違法性の強い行為によつてあおるなどした場合に限り刑罰の対象となるというのであつて、いわゆるD事件についての当裁判所大法廷判決の多数意見がさきに示した見解とほぼ同趣旨の見解を示しているのである。

ところで、憲法判断にさいして用いられる、いわゆる限定解釈は、憲法上の権利に対する法の規制が広汎にすぎて違憲の疑いがある場合に、もし、それが立法目的に反することなくして可能ならば、法の規定に限定を加えて解釈することによつて、当該法規の合憲性を認めるための手法として用いられるものである。

そして、その解釈により法文の一部に変更が加えられることとなつても、法の合理的解釈の範囲にとどまる限りは許されるのであるが、法文をすつかり書き改めてしまうような結果となることは、立法権を侵害するものであつて許さるべきではないのである

さらにまた、その解釈の結果、犯罪構成要件が暖味なものとなるときは、いかなる行為が犯罪とされ、それにいかなる刑罰が科せられるものであるかを予め国民に告知することによつて、国民の行為の準則を明らかにするとともに、国家権力の専断的な刑罰権の行使から国民の人権を擁護することを趣意とする、かのマグナカルタに由来する罪刑法定主義にもとるものであり、ただに憲法31条に違反するばかりでなく、国家権力を法の支配下におくとともに国民の遵法心に期待して法の支配する社会を実現しようとする民主国家の理念にも反することとなるのである

このことは、大陸法的な犯罪構成要件の理論をもたない英米においても、つとに普通法上の厳格解釈の原理によつて、裁判所は、個々の事件について、法文の不明確を理由に法令の適用を拒否する手段を用いて、実質上法令の無効を宣言するのとひとしい実をあげてきたといわれているのであるが、とくに米国では、一世紀も前から法文の不明確を理由としてこれを無効とする理論が芽ばえ、一九〇〇年代にはいつてからは、国民の行為の準則に関する法令は、予め国民に公正に告知されることが必要で、そのためには 法文は明確に規定されなければならないとして、憲法修正五条、六条、一四条等の適正条項違反を理由に不明確な法文の無効を宣言する、いわゆる明確性の理論が判例法として確立され今日に及んでいるのである。

この法文の明確性は、憲法上の権利の行使に対する規制や刑罰法規のような国民の基本的権利・自由に関する法規については、とくに強く要請されなければならないことは当然である。

ところで、前記福岡高等裁判所判決は、あおり行為の対象となる争議行為の違法性の強弱を判定する基準の一つとして、「国民生活に対する重大障害」ということをあげている。同様にD事件判決の多数意見は、「社会の通念に反して不当に長期に及ぶなど国民生活に重大な支障」といつている。
しかし、国民生活に重大な障害とか支障とかいう基準はすこぶる漠然とした抽象的なものであつて、はたしてどの程度の障害、支障が重大とされるのか、これを判定する者の主観的な、時としては恣意的な判断に委ねられるものであつて、そのような弾力性に富む伸縮自在な基準は、刑罰法規の構成要件の輪郭内容を極めて暖味ならしめるものといわざるをえない
また、D事件判決の多数意見のように「社会の通念に反し不当に長期に及ぶなど」という例示が示されているとしても、どの程度の時間的継続が不当とされるのか、これまた甚だ不明確な要件といわざるをえないばかりでなく、そのうえ「社会の通念に照らし」という一般条項を構成要件のなかにとりこんでいることは、却てその不明確性を増すばかりである。

したがつて、かような基準を示された国民は、自己の行為が限界線を越えるものでないとして許されるかどうかを予測することができず、法律専門家である弁護士、検察官、裁判官ですら客観的な判定基準を発見することに当惑し(いわゆるA事件の差戻し後の東京高裁昭和四一年(う)第二六〇五号同四二年九月六日判決・刑集二〇巻五二六頁参照)、罰則適用の限界を画することができないばかりでなく、民事上、行政上の制裁との限界もまた不明確であつて、法の安定性・確実性が著しくそこなわれることとなる。
現に全国の事実審裁判所の判決においても、「国民生活に重大な障害」に関する判断が区々にわかれて統一性を欠いているのが今日の実情なのである。

さらにまた、右のような限定解釈は、罰則の適用される場合を制限したかのようにみえるのであるが、それに示されているような抽象的基準では、前記判決が志向したところとはおよそ逆の方向にも作用することがないとも限らない。
けだし、法文の不明確は法の恣意的解釈への道をひらく危険があるからである

もつとも、右の基準の明確な確立は、今後の判例の集積にまてばよいとの反論もあろう。
最近の、カナダの連邦公務員関係法、アメリカのペンシルバニヤ州の公務員労使関係法およびハワイ州公法は、重要職務に従事する公務員についてのみ争議行為を禁止しているのであるが、それらの立法に対する、職務の重要性・非重要性を区別することは困難であるとの批判に対して、裁判所の判例の集積による解決が最も妥当であるとの反論もみられる。
しかし、右の諸立法においては、別に第三者機関による重要職務の指定判定の制度があつて、それによつて重要公務の範囲が一応は形式的に明確にされる建前なのであるから、その指定判定に争いがあるとき裁判所の判断をまつということのようである。
すなわち、それは、重要職務に従事する公務員の範囲を主体の面から限定するものであつて、行為の態様による限定ではないのである。
「国民生活に重大な障害」の有無というような行為の態様の基準の明確な確立は、むしろ、判例の集積による方法にはなじまないというべきであろう

およそ国民の行為の準則は、裁判時においてではなく、行為の時点においてすでに明確にされていなければならない。また、終局判決をまたなければ明確にならないような基準は、基準なきにひとしく、国民を長く不安定な状態におくこととなる。国民は各自それぞれの判断にしたがつて行動するほかなく、かくては法秩序の混乱はとうてい免れないであろう。

憲法問題を含む法令の解釈にさいしては、いたずらに既成の法概念・法技術にとらわれて、とざされた視野のなかでの形式的な憲法理解におちいつてはならないことはいうまでもないことであり、また、絶えず進展する社会の流動性と複雑化とに対処しうるためには、犯罪構成要件がつねに客観的・記述的な概念にとどまることはできず、価値的要素を含んだ規範的なものへと深化されることも必要である。
さらに、正義衡平、信義誠実、公序良俗、社会通念等々の、もともとは私法の領域で発達した一般条項の概念が、法解釈の補充的原理として具体的事件に妥当する法の発見に寄与するところがあることも否定できない。しかしながら、あまりにも抽象的・概括的な構成要件の設定は、法の行為規範、裁判規範としての機能を失なわしめるものであり、いわんや、安易簡便な一般条項を犯罪構成要件のなかにとりこむことは極力これを避けなければならない。第二次大戦前のドイツ法学界において、一般条項がいともたやすく遊戯のように労働法を征服したとか、一般条項は個々の犯罪構成要件をのりこえてしまう傾向をもつとかと、強く指摘した警告的な主張がなされたことが思いあわされるのである。

法の規定が、その文面からは一義的にしか解釈することができず、しかも憲法上許される必要最小限度を超えた規制がなされていると判断せざるをえないならば、たとえ立法目的が合憲であるとしても、その法は違憲とされなければならない。
しかるに、国公法一一〇条一項一七号についての前記のような限定解釈は、それを避けようとして詳密な理論を展開したのであるが、惜しむらくは、その理論の実際的適用について前述のような重大な疑義を包蔵するうえに、その限定解釈の結果もたらされた同条の構成要件の不明確性は、憲法31条に違反するものであり、また、立法目的に反して法の規定をほとんど空洞化するにいたらしめたことは、法文をすつかり書き改めたも同然で、限定解釈の限度を逸脱するものといわざるをえないのである。

 

ともあれ、これらの大法廷判決を読み、整体などの医業類似行為や無免許マッサージに関し、「人の健康に害を及ぼすおそれ」が立証されない限りは逮捕されない、と鷹をくくれるものか。

 

無免許マッサージや医業類似行為の違法性を問う方法は刑事裁判だけではなく、施術契約や施術講習契約が民法90条に違反する、などと民事で争う方法もあるのである。

*1:wikipediaの大法廷の項より 

一度大法廷判決で合憲とした事件は、小法廷で判断できることになり、「大法廷判決の趣旨に照らして明らか」であれば、小法廷で判断を下すことができることになっている。したがって、小法廷で憲法判断をする場合は、必ず過去の大法廷判決が引用されている。

*2:

http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=51231

*3:昭和38年11月11日東京高等裁判所判決昭和37(う)1960 最高裁判所刑事判例集19巻5号580頁

*4:札幌高裁昭和55年(う)195 刑事裁判月報13巻1・2号63頁

*5:

http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=50205