昭和35年判決は他の大法廷判決と矛盾し、その維持は憲法25条第2項、憲法41条に違反する。

国家資格者が原告となって、あはき法12条の法解釈を裁判所に求める方法は紹介した。

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では12条について判断してもらえるようになった場合に判例変更が可能かどうか、考えてみよう。

 

上記の他に消費者が、整体やカイロなどの医業類似行為は違法施術契約と主張し、民法90条に基づき、施術料金の返還を求めたり、資格商法業者に騙された消費者が返金を求める際にもあはき法12条の法解釈を求めることは可能だろう。

 

 

あはき法に関する昭和35年判決と昭和36年判決(広告判決)

昭和35年判決

http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=51354

"あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法第一二条、第一四条が医業類似行為を業とすることを禁止処罰するのは、人の健康に害を及ぼす虞のある業務行為に限局する趣旨と解しなければならない。"

として、無免許施術が野放しになる原因となる判決である。

石坂裁判官の反対意見として

それのみならず、疾病、その程度、治療、恢復期等につき兎角安易なる希望を持ち易い患者の心理傾向上、殊に何等かの影響あるが如く感ぜられる場合、本件の如き治療法に依頼すること甚しきに過ぎ、正常なる医療を受ける機会、ひいては医療の適期を失い、恢復時を遅延する等の危険少なしとせざるべく、人の健康、公共衛生に害を及ぼす虞も亦あるものといはねばならない。

とし、

 而してあん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法が、かゝる医業類似行為を資格なくして業として行ふことを禁止して居る所以は、これを自由に放置することは、前述の如く、人の健康、公共衛生に有効無害であるとの保障もなく、正常なる医療を受ける機会を失はしめる虞があつて、正常なる医療行為の普及徹底並に公共衛生の改善向上のため望ましくないので、わが国の保健衛生状態の改善向上をはかると共に、国民各々に正常なる医療を享受する機会を広く与へる目的に出たものと解するのが相当である。

とあり、適切な医療受診機会の逸失や延滞といった、消極的弊害の防止が法の目的としてある旨を述べている。

反対意見で述べられている、ということはこの判決の多数意見では消極的弊害の防止は考慮されていない、ということである。

 

昭和36年判決(あはき法広告判決)

http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=51353

あはき法の広告規制違反の判決である。

あはき法7条を合憲とした理由について

しかし本法があん摩、はり、きゆう等の業務又は施術所に関し前記のような制限を設け、いわゆる適応症の広告をも許さないゆえんのものは、もしこれを無制限に許容するときは、患者を吸引しようとするためややもすれば虚偽誇大に流れ、一般大衆を惑わす虞があり、その結果適時適切な医療を受ける機会を失わせるような結果を招来することをおそれたためであつて、このような弊害を未然に防止するため一定事項以外の広告を禁止することは、国民の保健衛生上の見地から、公共の福祉を維持するためやむをえない措置として是認されなければならない。

されば同条は憲法二一条に違反せず、同条違反の論旨は理由がない。

というわけで、あはき法の目的として「適時適切な医療を受ける機会を失わせるような結果を招来すること」を「未然に防止する」ことを述べているのである。つまり消極的弊害の防止はあはき法の目的に含まれる、としている。

 

この消極的弊害の防止をあはき法の目的として判断しているか否かで昭和35年判決と昭和36年判決は矛盾しているのである。

 

昭和36年判決の少数意見で斎藤悠輔裁判官は

 多数説は、形式主義に失し、自ら掲げた立法趣旨に反し、いわば、風未だ楼に満たないのに山雨すでに来れりとなすの類であつて、当裁判所大法廷が、さきに、「あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法一二条、一四条が医業類似行為を業とすることを禁止処罰するのは、人の健康に害を及ぼす虞のある業務所為に限局する趣旨と解しなければならない」旨判示した判例(昭和二九年(あ)二九九〇号同三五年一月二七日大法廷判決判例集一四巻一号三三頁以下)の趣旨にも違反するものといわなければならない。 

 と昭和35年判決との矛盾を指摘している。

最高裁小法廷での引用

矛盾する判例がある場合、どちらが正しいと言えるのか。

この2つの判決は大法廷判決である。

法令が合憲か違憲かの判断をする場合には大法廷で判断される。

そして同じような憲法判断を行う場合、大法廷判決を引用すれば小法廷で判断できる。

なのでそれぞれの大法廷判決が引用されている小法廷判決を並べると

 

昭和35年判決を引用する小法廷判決

昭和36年判決を引用する小法廷判決

昭和35年判決を引用する小法廷判決は同じくあはき法第12条に関する判決であり、一つの最高裁判例でしか引用されていない。

昭和36年判決を引用している小法廷判決はあはき法ではなく、もっぱら薬事法であり、京都府風俗案内所の規制に関する条例に関する判断でも引用されている。

 

どちらが正当性のある大法廷判決かは明らかだろう。

医薬品販売業登録制度に関する薬事法違反判決(昭和40年判決)

最大昭和38(あ)3179

 ところで、旧薬事法二九条一項は、医薬品の販売業を営もうとする者に対し、販売の対象が、同法二条四項にいわゆる医薬品に該当する限り、法定の登録を受くべきことを義務づけているものであることは、その規定自体に照らして明らかである。そして、同法がかような登録制度をとつているのは、販売される医薬品そのものがたとえ普通には人の健康に有益無害なものであるとしても、もしその販売業を自由に放任するならば、これにより、時として、それが非衛生的条件の下で保管されて変質変敗をきたすことなきを保しがたく、またその用法等の指導につき必要な知識経験を欠く者により販売されこれがため一般需要者をしてその使用を誤らせるなど、公衆に対する保健衛生上有害な結果を招来するおそれがあるからである。このゆえに、同法は医薬品の製造業についてばかりでなく、その販売業についても画一的に登録制を設け、同法二条四項にいわゆる医薬品に該当する限りその販売について、一定の基準に相当する知識経験を有し、衛生的な設備と施設をそなえている者だけに登録を受けさせる建前をとり、もつて一般公衆に対する保健衛生上有害な結果の発生を未然に防止しようと配慮しているのであつて、右登録制は、ひつきよう公共の福祉を確保するための制度にほかならない。されば、旧薬事法二九条一項は、憲法二二条一項に違反するものではなく、これと同趣旨に出た原判決は相当であつて、論旨は理由がない。

と医薬品販売業に関し、「もしその販売業を自由に放任するならば、」と仮定し、「時として」と、必ずしも起きるわけではない、有害な結果の発生を「未然に防止」しようとしているのだから憲法22条に違反せず合憲、と判断しているのである。

 

その点、昭和35年判決に関しては石坂裁判官の反対意見の再掲になるが

 かゝる医業類似行為を資格なくして業として行ふことを禁止して居る所以は、これを自由に放置することは、前述の如く、人の健康、公共衛生に有効無害であるとの保障もなく、

 というわけである。

医業類似行為の禁止処罰に「人の健康に害を及ぼすおそれ」の立証を求めた結果、健康被害の発生を未然に防止することができなくなっているのは国民生活センター消費者庁が報告しているとおりである。

手技による医業類似行為の危害−整体、カイロプラクティック、マッサージ等で重症事例も−(発表情報)_国民生活センター

法的な資格制度がない医業類似行為の手技による施術は慎重に[PDF形式](消費者庁)

 

よって、健康被害の発生を未然に防止するために、人の健康に害を及ぼすおそれの有無に関わらず、医業類似行為を禁止できないとすればこの昭和40年判決と矛盾するのである。

またこの判決を引用する小法廷判決は

この他に、大法廷でのいわゆる薬局距離制限違憲事件でも

 (一) 薬事法は、医薬品等に関する事項を規制し、その適正をはかることを目的として制定された法律であるが(一条)、同法は医薬品等の供給業務に関して広く許可制を採用し、本件に関連する範囲についていえば、薬局については、五条において都道府県知事の許可がなければ開設をしてはならないと定め、六条において右の許可条件に関する基準を定めており、また、医薬品の一般販売業については、二四条において許可を要することと定め、二六条において許可権者と許可条件に関する基準を定めている。医薬品は、国民の生命及び健康の保持上の必需品であるとともに、これと至大の関係を有するものであるから、不良医薬品の供給(不良調剤を含む。以下同じ。)から国民の健康と安全とをまもるために、業務の内容の規制のみならず、供給業者を一定の資格要件を具備する者に限定し、それ以外の者による開業を禁止する許可制を採用したことは、それ自体としては公共の福祉に適合する目的のための必要かつ合理的措置として肯認することができる(最高裁昭和三八年(あ)第三一七九号同四〇年七月一四日大法廷判決・刑集一九巻五号五五四頁同昭和三八年(オ)第七三七号同四一年七月二〇日大法廷判決・民集二〇巻六号一二一七頁参照)。

と引用されている。

とりわけ医療用吸引器事件では

薬事法一二条が製造業の許可を受けないで業として製造することを禁じている医療用具で同法二条四項、同法施行令一条別表第一の三二に定めている「医療用吸引器」は、陰圧を発生持続させ、その吸引力により人(若しくは動物)の疾病の診断、治療若しくは予防に使用されること又は人(若しくは動物)の身体の構造若しくは機能に影響を及ぼすことを目的とする器具器械であれば足り、必ずしも電動力等の強力な動力装置を備えているもの又は専ら手術に用いられるものに限定されず、また、人の健康に害を及ぼす虞が具体的に認められるものであることを要しないもの(昭和三八年(あ)第三一七九号同四〇年七月一四日大法廷判決・刑集一九巻五号五五四頁参照)と解すべきである。

と引用されている。 

憲法25条第2項違反

日本国憲法

第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
○2 国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

と第25条第2項は国の公衆衛生向上及び増進の義務を定めている。

この規定自体はプログラム規定といって、努力義務を課しているものであり、これを根拠に立法作為を求めることはできない。

じゃあ、この努力義務を実行するために国会で作った法律に、裁判所が制限を設けること(合憲限定解釈)が許されるのか?

昭和35年判決は憲法25条に関する判断を何も行っていないのである。

 

そしてその合憲限定解釈の結果、公衆衛生が脅かされる自体になった場合に合憲限定解釈の維持は許されるのか?

 

あはき法第12条の合憲限定解釈の結果、公衆衛生が脅かされる状況に

あるのは前掲の国民生活センター消費者庁の報告書が示すとおりである。

そんなわけで昭和35年判例の維持は憲法25条第2項に違反する。

 

憲法41条違反

第四十一条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。

限定解釈した判例を翻した判例として全農林警職法事件があるが、裁判官岸盛一、同天野武一の追加補足意見では

ところで、憲法判断にさいして用いられる、いわゆる限定解釈は、憲法上の権利に対する法の規制が広汎にすぎて違憲の疑いがある場合に、もし、それが立法目的に反することなくして可能ならば、法の規定に限定を加えて解釈することによつて、当該法規の合憲性を認めるための手法として用いられるものである。

そして、その解釈により法文の一部に変更が加えられることとなつても、法の合理的解釈の範囲にとどまる限りは許されるのであるが、法文をすつかり書き改めてしまうような結果となることは、立法権を侵害するものであつて許さるべきではないのである。

とし、「その解釈の結果、犯罪構成要件が暖味なものとなるときは、いかなる行為が犯罪とされ、それにいかなる刑罰が科せられるものであるかを予め国民に告知することによつて、国民の行為の準則を明らかにするとともに、国家権力の専断的な刑罰権の行使から国民の人権を擁護することを趣意とする、かのマグナカルタに由来する罪刑法定主義にもとるものであり、ただに憲法三一条に違反する」と述べている。

 

人の健康に害を及ぼす虞を処罰要件にすることが、基準を曖昧にするかというとそうとも言い難いが、昭和35年判決が「法文をすっかり書き改めてしまうような結果」となり、健康被害を招いているのは事実である。つまり立法目的に反する結果を招いている。

 

このような法文をすっかり書き改め、法の目的に反する結果を招いている限定解釈は、国会が国の唯一の立法機関であることを定めた憲法41条に違反する判決ではないか?

 

 

もし昭和35年判例を維持するなら様々な法解釈が崩れる

以上、見てきたように昭和35年判決は36年、40年、2つの大法廷判決と矛盾する。

そして矛盾する2つの大法廷判決を引用する小法廷判決も多数ある。

35年判例の維持を是とするなら36年判決で示された、消極的弊害の防止のために、無認可の医薬品・医療機器の効能表示を禁止することができなくなる。

また販売する医薬品などが人の健康に害を及ぼすおそれがある旨、立証しなければならなくなる。

これらの大法廷判決を引用して下した合憲判例も見直す必要が出てくる。